石尊信仰「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」

石尊信仰行事は、かなり古い昔から伝承されてきた。石尊さんの御神体は、神奈用県の阿夫利神社が大本だと言われ、江戸時代には、大山寺、大山不動、大山石尊大権現などと言って、爆発的人気を集めていた、と言われる。阿夫利神社には、石尊大権現、八大竜王、大小天狗が祀られていて、この大山に雲がかかると、よく雨が降ると言われ、そのため雨乞いの神として分霊されてきた場合が多いようである。石尊さんは、県下全域にあり、峡東地区ではとりわけ大きな石を用いてどの部落にもあり、巨大な立石の表面には「石尊大権現」と彫られている。地域によって、碑の文字も「大山豆美(つみ)大神」「阿夫利大神」などというものもあり、石碑の立っている場所も、道や川の端、池の真ん中に立っ峡東地方の石尊さんは、近年までは、信仰心の薄れに伴って、河用の汚染、若著の集団(青年団)活動の後退などから行われなくなった所が多い中で、八幡の江曽原地区では、環境にも恵まれ、現在も盛大に行われている。毎年七月のお盆過ぎに、「石尊講」と言って、兄川と江曽原橋上流の接点に建てられている「石尊大権現」の石碑を中心に、四方に青竹を立てて織を張りめぐらせ、池には水をなみ なみと注ぎ入れ、講が取り行われる。講の準備は、その年の当番に当たった講員によって行われ、その中で講元を決める。講員は、祭りの日になると、一軒一軒訪間して参加費五百円、米一合、野菜(いも、なす、きゆうり、人参)などを徴集する。祭典の準備ができると、現地での祭典執行のために、本尊を先頭に行列をつくって出発する。神宝を講元が捧げ、奉仕員や見物人が列をなして行進し、有志により、法螺貝が吹奏されながら現地へ向かう。石尊の碑の前には、灯明がともされ、酒、米、野菜、魚、赤飯、菓子等、梅の幸、山の幸が供えられて、軸を石碑の上にかぷせ神刀を立てかける。その前で、講員がふんどし一つの裸になって整列し、神一永で身を清め、一ているものもある。一同合掌し、石尊の呪文を唱えては水をかけ合って、六根の汚れを清めてもらう。江曽原地区では、呪文を省略して行われているが、呪文は、所によっては少しづつ違っている、と一言われる。一例を挙げてみると、「漸傀慣悔(ざんぎざんげ)。六根清浄(ろっこんしょうじょう)。大峰八大(おおみねはちだい)。全剛童子(こんごうどうじ)。大山大聖(おおやまだいしょう)。不動脈王(ふどうみょうおう)。 石尊大権現(しゃくそんだいごんげん)。大天狗小天狗(だいてんぐしょうてんぐ)。哀患納受(あいみんのうじゅ)。一律礼拝(いちりつらいはい)。」という呪文が一般的であったようだ。呪文の意味は、「私は、過去に色々な罪(生活上の)を犯しました。過去を反省し、心から恥かしく思い懺悔(ざんげ)します。どうか、六根の汚れを払ってください。頭を地につけて謝るのでどうか私の犯した過ちを可哀想だと思って許してください。そして、私だけでなく皆も一緒に許してください。」となる。石尊さんの水垢離(みずごり)の趣旨は、旱魃(かんばつ)地帯の雨乞い、夏の疫病よけ、あるいは過去に犯した罪を許してもらう懺悔などであるが、呪文の意味から考えると、昔は、病気や怪我は、自分の犯した罪に神が罰を写えたものだ、という考え方であったため、本来は、疫病よけとして神の水をかぶって心身の汚れを清めたものだが、いつの間にか水をかけ合う行事となってしまったと言われる。七日市場、五ケ村堰本流沿いの関島にある「石尊大権現」の石碑や、下井尻の「石尊大権現御神燈」と刻まれた石灯籠(いしどうろう)や、灯明(とうみょう)跡、客地域の御垢離場(水垢離をした 所)跡など、今は石尊さんの行事が行われなくなって久しい場所だけが、寂しく残されている。