小山の3日坊主日記(2000年版)

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2000年12月31日(日)

どうやら先週末の屋外放置事件でひいた風邪が尾を引いているらしい。 ほぼ1日書斎兼無線室にこもり無線道楽三昧に明け暮れる。 午後、カミさんの妹一家が遊びにやってきて夜はにぎやかな食事会となった。
今年も怒涛のような1年間でありました。 休むことを許されずひたらすら走り続けているような感の1年間でしたが、また来年も引き続き走りつづけるんでしょうねぇ。

2000年12月30日(土)

朝8時に起床し、シアトルに住む知人と無線(短波帯)で連絡を取り合う。 電波伝搬状況はまずまずで12日からの出張の際にシアトルに立ち寄る計画を打ち合わせる。 インターネットでいつでも連絡が取れる時代になっても、やはり声による直接の会話が落ち着く。
家がまだ真新しいので今年の年末は本格的な大掃除なし。 玄関先のほこりを払い、引越し以来整理されていない書斎の書棚をかたづける。 専門書をジャンル別に分類し書棚に収めていくと、どうやらスペースが足りないようである。 年明け早々書棚の買い増しが必要そう。

2000年12月29日(金)

朝から取引先に年末のご挨拶廻り。(役員専用車を使っての挨拶廻りだからラクチン) 多くの会社は今日が御用納めらしいが、多くの従業員は既に休暇を取っているらしく茅場町界隈も大手町界隈も閑散としている。 午後は机の周りを整理し、午後5時にはオフィスを後にする。 何となくホッとした安堵感に包まれる。

2000年12月23日(土)

案の定風邪をひいてしまった。 休養がいちばんなので家でおとなしく読書をして過ごす。

2000年12月22日(金)

千葉の合宿から東京に戻り、そのままオフィスに。 オラクルマスター関連の有識者(?)らとのミーティングを夜10時過ぎまで行い、部下と晩飯がわりに軽く飲むことに。 気が付くと深夜1時をまわっており帰宅することに。 さすがに忘年会シーズンたけなわとあって、タクシーも空車がほとんどない。 30分ほど歩きながらやっとタクシーを捕まえることに成功。 自宅に到着し玄関のカギを開けようとして、自分の書斎にカギを置き忘れていることに気づく。 しかたなくドアのインターフォンを鳴らして家人を起こすことに。 しかし何度鳴らしても誰も起きてこない。 チャイムは1Fの両親のリビングと2Fの我が家のリビングの両方同時になるようにしているが、いずれもドアを閉め切ると寝室まで音が聞こえないようである。 しかたなく電話を何度か鳴らして見るがこれまた同じ状況。 寒空の中チャイムと電話を鳴らしつづけること4時間、ようやく明け方6時にカミさんが気が付いてカギを開けてくれた。 ふんだりけったりの年末である。

2000年12月20日(水)

2泊3日のスケジュールで千葉の富津で部下を伴い合宿。 マーケティングに関する基礎的な事項をトレーニングするため人里はなれたところに総勢32名を隔離。 朝から夜2時近くまでのスケジュールでほとんど宗教団体の洗脳教育みないな感じ。

場所は内房線で東京から特急で1時間20分ほどのところにある、東京都情報処理健康保険組合(TJK)の直営保養所。 ちょうど東京湾の入り口で、すぐ向かいに横須賀市が見える位置です。 一応お風呂は温泉らしいのですが、今回ばかりはレクリエーション気分ゼロの合宿で、チャプンと入るだけ。 何しろ1泊2食付で\3,500という値段なので、どんなところかと心配していたが、建物や部屋はきれいだし食事は普通の旅館並。 この値段が信じられないほど。
これは合宿ではなしに遊びで来たいですなぁ。

2000年12月19日(火)

仕事の関係で、某航空会社のマイレージサービス担当部署を訪問。 ビジネスアライアンスを組まないかとの提案をしにやってきたのだが、対応にでたマネージャの反応がいまひとつ。 ある程度想像はしていたがマーケティング部署というよりお役所感覚の対応に少々ガッカリ。  これを機会に自分自身のマイレージを貯める航空会社を変えてみようかという気分。

2000年12月1日(金)

仕事をはやめにかたずけ、きゃりぃさんの彼と晩飯を食べにでかける。(きゃりぃ抜き) 渋谷宮益坂の途中にある宮崎料理の店(魚山亭)で、日向地鶏や魚を食べ地元の焼酎でくつろいだ時間を楽しみました。

2000年11月30日(木)

日帰りで仙台出張。 仕事を終えて仙台の寿司屋で牡蠣に季節の魚をたんまりと食べ新幹線に乗りました。

2000年11月28日(火)

午前中会議を済ませ、幕張にある客先に外出。 いつの間にやら海浜幕張の駅前にアウトレットモール(ファッションモール)が出来ているではないか。 それにしても相変わらず殺伐とした人工的な街。 朝自宅を出るときにコートを着てくるのを忘れ、あまりの寒さに風邪をひいてしまいました。

2000年11月26日(日)

今週末ものんびりとした休日を満喫。 無線機とPCを接続して画像通信(静止画TV)をする為のインタフェースケーブルを作ったりとマニアックなことを堪能。

2000年11月23日(木)

子守りのため朝早めの新幹線で東京に戻り。 昼ご飯を娘と息子と食べ、無線用のアンテナを1本増設工事。 和歌山にあるアンテナメーカーから取り寄せていたもので、いつもこの会社に電話すると社長の長電話に付き合わされる。 でもいつも値段を安くしてくれるので感謝。

2000年11月22日(水)

再び仙台出張。 仕事の内容は省略することにして、夜仕事仲間たちと居酒屋(にしてはちょっと程度が良かったが)で打ち上げ。 牡蠣の石焼がなんとも香りよく、追加オーダーしてしまいました。 焼牡蠣と言えば日本酒。 宮城の酒ではないが十四代を冷で。 米の香りがなんとも芳醇でうまいこと。 深夜0時近くまで酒と料理を楽しみホテルに戻りました。

2000年11月19日(日)

ひさびさにのんびりとした休日。 昨日インターネットで手に入れたリニアアンプ(高周波増幅器)を無線機と接続するためのコントロールケーブルを作ったりしながら気ままな休日を楽しむ。(えっ?マニアックな休日?)

 

2000年11月16日(木)

午前中仙台にある支社で打ち合わせをし、客先を訪問してから新幹線で東京に戻る。 夜は住宅新築の関係で長いことお世話になった弁護士の先生(でも同い年)と赤坂の割烹で打ち上げ。 割烹というと純和風に聞こえるが、見た目はどちらかというとバー。 でも出てくる料理は完璧な割烹料理。 まぁ今風に言えばダイニングバーってとこでしょう。 年も同じということもあり弁護士の先生といろいろな話で盛り上がりました。

 

2000年11月15日(水)

夕方から仙台に移動。 新幹線で東京駅から1時間40分しかかからないのだから、仙台はずいぶんと近い。 到着後駅からほど近いHotel JAL City にチェックイン。 腹が減ったがひとりで面倒なので近くにあるファーストフードの店で簡単に済ませる。 先週の疲れが今ごろになって出てきたのか、早々とベッドでダウン。

 

2000年11月9日(木) SFO滞在中

昼間ミーティングをパシパシと片付け、圭&メグ@新婚夫妻を伴って夕方からバーリンゲームにある栄寿司に繰り出す。 サンフランシスコにある寿司屋の中では
たぶん一番美味いのではないかと個人的に評価している。(その分、御代も高いが) 対馬沖直送の鯖や三陸沖でとれた牡蠣等などをじゅうぶんに堪能した。 (なぜにわzわざアメリカまで来てそんなものを食べないといけないかなどと疑問に思ってはいけない。)

 

2000年11月8日(水) SFO滞在中

金曜日に予定していたお客様とのミーティングが木曜日にスケジュールされたので(しかしミーティングがダブルブック状態)、予定を早めて1日早く金曜日の便で帰ることにした。(これで日曜日は休める) JALに電話をしようと思うのだが、なかなか米国内の予約案内の電話番号がわからない。 結局20分くらいかかって、US JALのホームページで見つけることができた。 日本のJALのホームページにはどこにも海外での連絡先がかかれていない。 国際線を飛ばしているエアラインなのだから海外に滞在中の顧客がアクセスし必要な情報を入手することを考えないのだろうか? まぁ愚痴はともかくとして、最初10(金)の便ではビジネスクラスが取れないとのことであった。 ほどしばらくしてビジネスクラスにシートが確保できたとの電話連絡が入ってきてひと安心。 今日も朝8時から夜7時までぶっ通しでミーティング。 夜はミーティングメンバーでディナーをしようとの提案があったが、いささか疲れぎみなので失礼させていただいた。 

ミーティングを終え、フリーウェイに乗り2つ先の出口から少し走ったところにあるトイザラスに行く。 こちらのおもちゃの値段は嘘みたいに安い。 特にトイザラスは安い上に品揃えがよく、体育館みたいに広い店内におもちゃがびっしりと詰まっている。 子供へのお土産と、隣の家の子供へのお土産をどっさりと買い込む。 それでも値段は80ドルちょっと。 こんなところに小太郎を連れてきたら、あまりに欲しいおもちゃが多すぎて気が狂ってしまうかも。

 

2000年11月7日(火) SFO滞在中

朝から夜までずっとミーティングで拘束される。 基本的にネィティブ・スピーカーばかりのミーティングにノン・ネィティブの日本人がポツンと混ざっているようなミーティングだからコミュニケーション・スキルの差をまじまじと感じさせられるミーティングである。 いつもながら自分の英語力の乏しさに悔しい思いをさせられる。(えっ?だったら努力しろって?...ごもっとも)

夜はフォスターシティにある"Fish Market"というシーフードの店に同僚(でも父親くらいの年齢)と行く。 あまり期待していなかったのだが、意外にも味はうまい。  クラムチャウダースープに、車えびのケイジャン風それにダンジュネス・クラブを2人でシェアして食べる。

 

2000年11月6日(月) SFO滞在中

予定していた本来のミーティングがキャンセルになったので、日ごろe-mailでコミュニケーションしている本社の連中何人かと会い情報交換をする。 その後1日事務処理と明日以降のミーティングの準備をして過ごす。 日本にいると割り込みの連続であるがこちらにいるとそれが無いので集中した時間が持てる。 つい昼ご飯を食べるのも忘れてしまった。 夜は一人でちかくの街にある寿司屋をのぞいてみることにした。 場末の寿司屋という言葉がぴったりの店で、はじめて訪れる店である。 名前からすると日本人が経営しているような感じがするのだが、実際にはチャイニーズであった。 もともとは日本人がやっていたのかもしれないが途中で譲り渡したのかも。 味やメニューの構成はいまひとつだが、おやじが気さくなのでまぁ許せるって感じ。

 

2000年11月5日(日) SFO滞在中

9時ちょっとに目が覚める。 今日は体調を整えるためのOFFにしてある。 シャワーを浴び、ホテル1Fのレストランにおりていくと今朝はサンデーブランチの日だという。 ブランチと言ってもシャンパン付きで料理もディナーと同じ豪華な内容になっている。 いわゆる「シャンパンブランチ」である。 値段もそれなりだが、まぁせっかくひとりきりの休日の朝なので贅沢をしてシャンパンブランチを食べることにした。(ただし昼間運転をするのでシャンパンは飲まなかったが)  ホテルの宿泊客以外にも家族連れでシャンパンブランチを食べにやってくる地元の人らもけっこういる。 特にこのシリコンバレー周辺にはネットバブルで裕福な人も多く、シャンパンブランチはそういう家族の楽しみそしてステータスなのだろうか? かみさんが聞いたら「もったいない」というに違いない(笑)。

お昼前にホテルをいったんチェックアウトする。 今晩だけはサンフランシスコのダウンタウンにあるホテルに泊まる予定。 時間が空いたので会社からほど近い、サンカルロスの空港に行きパイロットショップをのぞいて見る。 エアラインパイロットや航空管制官が使っているヘッドセット(マイク)を探してみるが、小型機やヘリコプター用のごついヘッドセットしか在庫が無いという。 残念ながらあきらめて、ロビーでオレンジジュースを飲みながら小型機の滑走路を眺めてのんびりした時間を過ごした。

午後3時まえにサンフランシスコ空港に行き、名古屋在住の守田さん@JALから依頼された観光客2名をピックアップしスタンフォード大学を経由してダウンタウンのホテル日航へ。 スタンフォード大学の教会のステンドグラスがとても綺麗なのだが、あいにく日曜日ということで礼拝かたはたま宗教学の特別講義をしているらしく部外者はシャットアウトされていて中へは入れてもらえなかった。 ホテルで少し休んで、ゴールデンゲートブリッジを渡りサウサリートの町に夕食に出かけた。 これまで何度か行ったことのあるジャパニーズアメリカンのレストラン「ONDINE」に行く。 どうやらここのシェフは日本人らしくアメリカにしては繊細な料理だと納得。

 

2000年11月4日(土) NRT→SFO

午前中、測量士さんと打ち合わせを済ませ予定とおり2日連チャンで波浪指圧センターに行き、コリにこった首筋から肩をほぐしてもらう。 さすが指圧の総本山、波浪だけあってビシビシと脳まで刺激されるような痛みと快感に包まれる。 軽いランチを済ませ成田エクスプレスで成田に向かい、夕方6時の便でサンフランシスコに向けて出発。

睡眠薬を飲んでおいたので、サンフランシスコ到着の30分前まで爆睡状態。 こんなに機内で寝れたのは初めてかも。 入国審査を済ませ、レンタカーをピックアップ。 ホテルにチェックインするには少し早いので、空港からフリーウェイを南に30分ほど走ったところにあるディスカウントショップ Fly'sに行く。 そうこうしていると橘ゆみさんから携帯に電話が入り、サンマテオでランチを食べようということに。 場所はいつもの四川料理の店「リトルスーチャン」。 かんちゃんも合流し3名で辛いランチを堪能。  我々の定番メニューともいうべき、豚肉の辛しソースあえ(パイロー)野菜の油炒め(トウミョウ)涼麺それにエビのマヨネーズ炒め。 今日はまた特に辛い気がしました。

2000年11月3日(金) 

午前中、娘の授業参観をみにいきその足で池袋のデパートに買い物に。 つかれのせいか、首が異常なまでにこってしまい頭痛すらしてくる。 このままで海外出張に出かけるとたいへんなことになりそうなので、指圧でほぐしてもらうことに。 自宅の近所にある波浪指圧センターにいき1時間みっちりと首を中心にほぐしてもらう。 それまでの頭痛が嘘のように消え去り気分は爽快。 しかし完全にほぐしきれていないので、明日ふたたび成田に行く前にほぐしてもらうことに。 

2000年11月1日(水) 

ホテルの入っているビルの1Fにあるスターバックスでベーグルとカフェラテで朝食を済ます。 このところスターバックスの日本国内進出はめざましく、特に都内ではあちらこちらでスターバックスのショップを見かけるようになった。 店内は禁煙でこれまでのファーストフード型コーヒーショップとは客層があきらかに変化している。 オフィスのある渋谷クロスタワーにもメインエントランス階、それもエレベーターホールの真ん前にスターバックスが陣取っていて朝ついついラテを買ってしまう。

午前中は大阪の支社でミーティング済ませ、お昼を食べに難波に向かう。 うなぎ屋をめざして行ったのだが、あいにくお休み。 気を取り直して天丼屋に向かったが、ここもお休み。 しかたがないのでラーメンでランチを済ませる。 新幹線で名古屋に向かい、支社でのイベント・パーティに出席。 名古屋駅の上にあるホテル・マリオットにチェックインしたのは午後11時30分近くであった。 シャワーを浴びてすぐさま爆睡。 

2000年10月31日(火) 

朝から午後まで来客続きでランチもゆっくり食べている時間がなかった。 夕方労働省の委員会に出席。 IT化に対応した職業能力の開発についてディスカッションをおこなっている。 他の委員は年配の方ばかりで、ほとんどが大学の教授。 僕だけ30歳台でいわゆるベンダー資格の有識者という立場から委員に選出されたらしい。 予定を少し回って午後7時過ぎに委員会が終わり、同僚と合流し夜8時の新幹線に乗った。 東京駅のコンコースで買っておいた弁当をパクつき、名古屋を通過するあたりまでウトウトとする。 22時30分前に新大阪に到着。 ホテルにチェックインしシャワーを浴びてビールを飲んで爆睡。  

2000年10月28日(土) 

自宅近所の魚屋でのロケが夕方から始まる。 今日はやけにギャラリーが多いと思いきや、主役の松嶋菜々子の撮影があるらしい。 第6話のエンディングシーンらしく、小雨降る中さらにホースで水を撒きビショ濡れになりながらの撮影でありました。 撮影は深夜1時過ぎまでかかったらしく、魚屋さのおばさんは「寝られないよ」とぼやいていた。  

2000年10月25日(水) 

今週はずっと引越し休みを入れていたが、大阪に出張に出るハメになってしまった。 昼の飛行機で伊丹に飛び、そこからモノレールに乗り、守口で京阪電車に乗りつぎ枚方市へ。(実はこの日記はモノレールの中でひさびさに更新している) 駅前で夕方4時に上司と大阪地区の研修ビジネスの責任者をしている同僚と合流し客先に。 客先で先方のオエライさんと2時間ほどミーティングをし、枚方市内の料亭で懇親の食事会。 タクシーで大阪市内まで戻り、上司の宿泊先のホテルでワインを飲みながらラップアップミーティングを1時間ほど。 午後11時過ぎに宿泊先のホテル・モントレーにチェックイン。 すぐさまシャワーを浴びてベッドに直行。 引越しの疲れからか、爆睡状態。  

2000年10月24日(火) 

引越しの荷物がいまだ散乱している状態。 午前中にNTTの電話工事とCATVの工事がやってきた。 今回家を新築するにあたり、各部屋にカテゴリー5のケーブルを引いてネットワークのポートを出しておいた。 で、玄関入ってすぐの部屋をサーバールームにし、ここにネットワーク関連のケーブルを集中させてある。 CATV(東京ケーブルネットワーク)でインターネット接続サービスをしているので、家中で常時接続環境が楽しめる。 庭には無線用の鉄塔(ウインチで上がり下がりする)が建っているし、けっこうマニアックな家に仕上がった。

ところで、月曜日の連ドラ「やまとなでしこ」の主人公(男)の実家は魚屋(魚春)という設定だが、その撮影に使っている魚屋が新居の目の前にある。 本当は魚音というのだが、「魚春」の看板をあげたままにしている。 ここ数日撮影が行われており、魚屋のおばさんは「まったく仕事にならないよ〜」とぼやいている。 ここの旦那が生きていた頃、この店の前を通ると「若旦那、今日はいいネタが入っているよ。 あがっていきな!」と呼び止められ、奥の座敷にあがるとビールを出してくれ、いきなり裏ビデオを見せられた事がある。 そういいネタとはビデオだった。  

2000年10月23日(月) 

朝からあいにくの雨。 新居への引越しである。 既に荷造りは終えてあるので引越し業者(アート引越しセンター)にあとはお任せ。 シーズンオフの月曜日ということもあって、やってきたスタッフは精鋭揃い。 いやぁ〜、いい仕事見せてもらいました。 これまで何度か引越し業者を使って引越しをしたが、今回ほど感動させられる仕事ぶりにはこれまでなかった。 思わずチップを弾んでしまいました。  

2000年10月20日(金) 

今年2月から建築中だった2世帯住宅が完成。 銀行で住宅メーカーから引渡しを受ける。 と同時にン千万円の住宅ローンの債務者となる。 今回の2世帯住宅はカミさんの両親の土地に僕が建物を所有する形で建築した。 文京区小石川なので一応都心のど真ん中ということになる。 年明けにやってくるだろう住宅取得税やら、固定資産税やら諸々の税金がどれくらいなのか楽しみ(恐ろし)である。
夜からhttp://www.oracle-master.org のボードスタッフミーティングの為会社に出かける。 あいにくの雨で会社に着く頃にはズボンもビショビショ。 2時間ほどミーティングをし、渋谷の魚居酒屋でボードアドバイザリーの吉田育代さんらと懇親会を開く。  

2000年10月9日(月) 

3連休の最終日だが、オフィスの引越しの為出勤。 ホコリと塗料のせいか喉が痛い。 

2000年10月4日(水) SFO滞在中

今日は特段ミーティング等のスケジュールは無い。 米国出張初めてという連中を車に乗せて本社に向かう。 セキュリティーセンターでIDカードを発行してもらい、オフィスを徘徊して回る。 連れ達は見るもの全てが新鮮さらしく、いちいち感動している。 (各フロアにある冷蔵庫の中からジュースを抜き取る佐々木の図) お昼はかんちゃんと、日本の広告代理店の方2名と合流し、サンマテオのダウンタウンにある四川料理の店で辛い中華料理を堪能した。 かんちゃん、広告代理店の方と別れ車を南に走らせる。 サニベールという街まで行き、大規模なPCショップ Fly's をぶらつく。 再びフリーウェイを北に走り、スタンフォード大学のキャンパスを散策する。 チャペルの中に入った時、ゆみさんから携帯に電話がかかってきた。 お茶をしようとの誘いをいただいたが、連れもいて自由が取れず残念ながら次回までのお預けということに。

2000年10月3日(火) SFO滞在中

朝10時から直属の上司である米国本社のVIPミーティング。 30分ほどで済ませ、続きを夕方再開することに。 ホテル・マリオットに移動し、日本からの取材人と米国本社のVIPとの懇談会。 今回の懇談会は通訳さんが入っているので自分の負担はかなり楽。 午後からはOracle Corp 会長CEOのラリーの基調講演を聞く。 その後再び午前の会議の続きに入る。 夕方からは日本から来ているお客様とヒルトンの1Fにある和食レストランで会食。 夜10時過ぎにホテルにもどり事務処理を済ませて早々にベッドに入る。 そう何の変哲も無い平凡な仕事だけの1日である。

2000年10月2日(月) SFO滞在中

6時に目覚し時計で起き、朝食を済ませOracle Open World が開催されているモスコーニ・コンベンションセンターに向かう。 朝8時半からのキーノートスピーチを聞き、あすのお昼に行うプレスカンファレンスの場所を確保するために広報の大橋嬢と近くのホテルに行く。 ミーティングルームとランチを予約し、大橋嬢とは分かれ、次に明日の夜にお客様との会食をするためのアレンジに別のホテルに佐々木嬢と向かう。 その後再びイベント会場に戻り、USのスタッフ数名に会いミーティングのスケジュールなどを確認する。 夕方からは日本からOracle Open Worldに参加しているお客様をお迎えしてのJapan Night Party に参加。 いまひとつ盛り上がりに欠けるパーティに、お客様数名を伴いJapan Town にあるカラオケクラブに繰り出す。

2000年10月1日(日) NRT→SFO

小山の日記は忘れた頃に更新されるってなわけで、1ヶ月半ぶりの日記更新です。 日記更新と言えば、海外出張です。
今回も出張先は毎度おなじみのサンフランシスコ。 いつもと同じ午後3時前のNEXに乗り成田空港に向かいます。 つい最近、JAL Global Club のメンバーカードが届いたので、チェックインは比較的すいているファーストクラスカウンタが使用できます。 バゲッジもファーストクラス扱い。 (ただしシートはビジネスクラスのまま) 特に土産物を買う予定も無いのでそのまま出国手続きを済ませラウンジに向かう。 ラウンジにはインターネット接続用のモジュラージャックが備え付けられていて、国内のノードにアクセスする分には電話代無料で使用することが可能である。 搭乗までの2時間弱の時間をこのラウンジで仕事をして過ごす。 便利な世の中になった反面、時と場所を問わずに仕事ができるようになってしまった。 emailと国際携帯電話のおかげで海外出張ものんびりとした気分でというよりも、18〜20時間ほど仕事させられているような感じである。
搭乗口付近でたまたま小川さん(JAL 乗員訓練所の教官)と出くわし、搭乗までの数分間雑談して過ごす。 小川さんは一時帰国している間に八重洲無線から新発売された無線機を購入したらしい。 話を聞くとつられて衝動買いしたくなってしまう。

順調にサンフランシスコに到着し、カスタムを通過してレンタカーをピックアップする。 車を走らせて2,3分したころ上司(本部長)がチケットとクレジットカード、それに現金の入ったパスケースをカスタムエリアに置き忘れたことに気づき、あわてて空港に戻る。 半ばあきらめぎみであったが戻ってみると航空会社のカウンターにちゃんと届けられていた。 超ラッキー! 本部長と部下の2名を伴ってそのままNapaにワインを買いに車を走らせる。 ベイブリッジを経由して空港から1時間30分程度で、Napaのワイナリーに到着する。 他のメンバーはテイスティングをしたが運転手は残念ながらみているだけ。 帰りは違うルートを通りベイブリッジを経由してサンフランシスコ市内に向かう。 ホテルにチェックインし、シャワーを浴びてから夕食を食べにチャイナタウンに出かける。 これまで2回連続で中華は外してしまったが今回は比較的うまい店に行き当たった。

 

2000年8月20日(日)

今週末は〆切間近の大学院のレポートが2本ほどあり、ほとんどの時間をレポート書きに費やした。 食事もそそくさと食べ、書斎にこもりひたすらレポートを書いている。 もっと早めに手をつければ〆切間近に慌てることはないのだが、そんなことができるほど人生甘くはない。 常にレポート課題が数珠繋ぎにキューイングされていて、しかも平日はほとんど仕事をこなすのが精一杯の状態である。 ふと、こんな似非研究者な生活をしていてよいのだろうかと疑問に感じてしまう。 こんな状況から抜け出すための条件はどうしたら良いか考えてみた。

  電磁波工学の研究に専念する為には現在の仕事を辞めるか長期休暇(2〜3年くらい)が必要だろう。

  仕事をしなくても何不自由なく生活でき、かつ家族からの批判が噴出しないためにはそれなりの経済力が必要だろう。

  研究に専念した後、その道(研究者)で食っていくことはやや困難。 そうすると再び現在のような仕事に戻らなければ
  ならないし、もどれるという保証もない。 したがって万が一それなりの仕事に復帰できなかった場合のリスクヘッジが
  できるほどの経済力が必要だろう。

  上記の条件を満たす経済力とは...ざっと手元に3億円くらいの現金があれば少々のことに対応できるだろう。 で、その3億円を手にするには?

     1. かんちゃんをだまくらかして、あるいは彼を抹殺して彼所有の株式いっさいを自分のものにする。
     2. やはりここはひとつ、馬車馬のように働いて3億円を稼ぎ出す。(給与+ストックオプション+宝くじ)

ってことで、結論的には2の馬車馬のように働くというオプションを採択することになりました。 えっ? じゃ今と変わらないじゃないかって? その通りなんです。

2000年8月17日(木)

7月の出張の時サンフランシスコで会ったぱんなさんが一時帰国でやってきた。 いっしょに食事をしようということになり、じぇみぃさんと共に新宿の小田急ホテルサザンタワーで待ち合わせをした。 オフィスを抜け出すのに手間取り、約束の6時30分に5分ほど遅れて到着。 既にじぇみぃさんはロビーのソファーに座って待っていて、エレベータから降りた僕を見つけて静かに微笑みかけた。 じぇみぃさんと会うのはこれが初めてだが、彼女は僕の顔をHPで見て知っている。
ロビーからぱんなさんの部屋に電話をし、ロビーに到着した旨を告げる。 2分ほどしてぱんなさんが息子のマイク君を連れて現れた。 1ヶ月前にサンフランシスコで会った時から髪の毛がウェーブがかかっていてちょっと雰囲気が変わっていた。 じぇみぃさんとぱんなさんはお互い会うのは初めてらしいが、そんな感じはなく昔からの友達に再会したような雰囲気である。 これもネットワーク社会での対人心理の特徴なのだろうか?(>このあたりの詳細は専門家のあさりんに任せよう)
ぱんなさんのリクエストで焼き鳥が食べたいということになり店を探す。 あまり新宿界隈にはなじみがなく、JALカードのガイドブックから良さそうな店をピックアップし電話てみる。 ホテルから徒歩3分ほどの距離にこぎれいな串焼きの店を見つけた。 あまり気取らず仲間同士で食事するのに良さそうな店だ。 ぱんなさんはレバーが食べたかったらしく、間髪いれずレバーを塩で注文した。 レバーを塩でいただくとは、なかなかの御仁である。 レバーの他にも何種類課の串焼きをすべて塩で注文した。 生ビールに続いて、ほどなく串焼きが運ばれてきた。 期待を裏切らず美味い串焼きである。 焼き過ぎず素材の味を活かしている。
生ビールを飲み干し、じぇみぃさんは日本酒(冷酒)に切り替えることを提案。 話もはずみ酒も進む。 それにしてもじぇみぃさんとぱんなさん、酒の強いこと強いこと。 橘キャサリンゆみさんから話は聞いていたが、その話はまったく脚色なしの真実であった。 冷酒(350ml)を合計で8〜9本は飲んだだろうか。 かるく一升を超えてしまっているではないか。 それでいて顔色変えない二人ときたら。 じぇみぃさんは途中、関西にいるSARAさんに電話を入れ食事が盛り上がっていることを伝える。 電話越しにSARAさんの声をはじめて聞く。 優しくそしてしっかりとした声である。(小山は声フェチ?) 10月に大阪で会おうと約束をし電話を切る。
食事の途中でマイク君が寝てしまったので、彼をかついでホテルのぱんなさんの部屋に行った。 そこでPinを使ってインターネットアクセスしかんちゃんの掲示板をのぞいてみると、すでにわれわれの密会(どこが密かやねん)の様子が報じられている。 しかも日本ではなく海の向こうのアメリカで。 凄い時代になったものだ。 サンフランシスコ郊外にいるキャサリンをうらやましがらせようということで、国際電話をいれる。 西海岸は朝の8時をちょっとまわったところ。 期待とおりにキャサリンは新宿での密会が盛り上がったことをくやしがっている。 そんなうちに夜はすっかりふけ、じぇみぃさんと僕はそれぞれ家路についたのであった。

※本文中に外人とおぼしき名前が頻出していますが、すべてピュアな日本人ばかりですので、あしからず。

2000年8月13日(日)

朝から雨が降っていて涼しい朝を迎える。 このところの猛暑からやっと開放された感じ。 今日は大学院のレポート作成に専念しようと思っていたが、息子の小太郎がどうしてもバスに乗りたいとのたまうので、意味もなくバスに乗り吉祥寺に出かける。 アーケードをぶらつき、本屋に立ち寄り微分方程式の解き方に関する書籍を1冊購入。 伊勢丹の8Fで昼食(とんかつ)をカミさんと小太郎と食べる。 午後自宅に戻り、レポートに手をつけるが何となくのりがわるく、ホームページの改装をはじめてしまう。(自己逃避モード?) 夕方再び調布駅前の本屋に行き、量子コンピューティングに関する書籍を購入。 量子計算機に興味があるわけでないが、レポート課題でShorの因数分解アルゴリズムについての証明が出され、講義にも出ていないのでさっぱり情報がないもので、講義担当の助教授が書いた書籍を購入したしだい。(それにしても高いゾ!)
結局夕食を済ませてから研究室に来て、やっとレポート課題に手をつけた。

2000年8月6日(日)

日曜日の今日はさすがにオフ。 台風の接近が危ぶまれたが、速度が遅いせいか晴れている。 他の連中はダイビングに出かけて行ったが、疲れもたまっているし大学院のレポートがいくつかたまっているのでのんびりとしたオフの日を過ごすことにした。 遅めの朝食を食べ、タクシーで県立図書館それに市内のおおきめの本やを回りレポートのための資料を集める。 工学分野のそれもニッチな領域の資料はそうあるわけもない。 かろうじてトラフィック理論のさわりを書いた書籍を県立図書館で1冊見つけ、それをコピーしてホテルに戻る。 午後2時前にランチを食べに那覇市内の中心地、国際通りに出かける。 結局ずっと沖縄料理ばかり食べつづけていたので、違うものが食べたくなり、何の変哲もないイタリアンレストランに入りパスタを食べる。 再びホテルにもどり、レポート課題と格闘。 夜はステーキ(鉄板焼き)を食べ、その後ホテルの中のサウナで汗を流し、おまけにマッサージをしてもらって久々に充実したオフの日を満喫した。

2000年8月5日(土)

土曜日だが沖縄でのイベントの為今日もお仕事。 朝7時に佐々木嬢、光田嬢とハーバービューホテルに集合しレンタカーで沖縄市(昔のコザ市)に向かう。 道路渋滞を気にして早めに出かけたのだが、渋滞はまったくなく8時前に目的地に到着。 朝食を食べていなかったので近くのマクドナルドに入り朝マックする。  30分ていどマックで時間をつぶし、イベント会場の沖縄市テレワークセンターに入る。 データベースサーバー技術者としてのスキルレベルをチェックするのが今回のイベント。 同時に沖縄県内4会場をインターネットで結んで、コンピュータを使って試験を実施するものである。 

営業スマイルをさせたら右に出るものはいない佐々木直子
まじめに試験監督中の光田淳子

夕方6時まで淡々と仕事をし、那覇市内に戻る。 夜8時30に支社に集合し、イベントのラップアップ・ミーティングを行い、今回のイベントが成功であったことを確認する。 これでイベントは一区切り。 地元でダイビングショップを経営している金城さんの案内で、沖縄料理風居酒屋で打ち上げ。 沖縄家庭料理と泡盛で疲れをいやす。 1次会は午前0時で切り上げ、瀬戸君、大橋みどり嬢と2次会に繰り出す。 たみちゃん、まみちゃんの姉妹でやっているパフィーというスナック。 地元の自営業経営者が主たる客層だが、何度もこの店に来ている瀬戸君は完全に地元の人に溶け込んでいる。 この日も踊る大捜査線の署長に似たおじさんらと仲良くなり、一緒にカラオケを歌いまくるしまつ。 一仕事なしとげたせいもあって完全に壊れておりました。

2000年8月4日(金)

昨晩到着した本部長とホテルの和食レストランで朝食を済ませ8時30分に支社に出社。 朝一番で県の要職の方と面談し、今回のイベントの意義についてお互い確認をし、成功を約束する。 午前中は地元テレビや新聞等の取材対応におわれる。 午後、沖縄大学を訪問しマルチメディアセンター長らと技術教育・研究について協議する。 その後細々とした作業をかたづけるため、那覇市内をいくつか移動し夜9時過ぎより県の関係者らとミーティング。 今夜も夕食にありつけたのは夜10時過ぎ。 琉球料理の店に行き、地元料理を堪能した。 豆腐を泡盛に漬け熟成させたもの(豆腐よう)はまるでチーズのような味わいである。 明日も朝6時起きなので、早々にホテルに引き上げる。  

2000年8月3日(木)

朝食を済ませ沖縄支社に出社する。 オープンしたてのオフィスで、沖縄フレーバーあふれるユニークなオフィスである。 入口は沖縄の民家を模した漆喰の壁があり、当然ながらシーサーがおかれている。 お客様を迎えるフロアには古い船がおかれていて、その上に板を並べてテーブル代わりにしている。 会社のオフィスというよりは、洒落たバーって感じ。
午後からイベント準備のため、沖縄県北部にある名護市まで車を走らせる。 高速道路を経由して海岸線を走る一般道におり、1時間ちょっとのドライブ。 晴れていればとてもきれいな海岸線なのだが、生憎の雨でどんよりと曇っている。 夕方6時30分に名護市での準備作業を終わらせ、再び那覇市内に戻る。 沖縄県には鉄道が無いため、公共交通機関といえばバスだけで、多くの人は通勤に自家用車を使っている。 その為朝夕の時間帯は幹線道路は大都市並みの渋滞である。 ちょうど夕方の帰宅時間帯と重なったので渋滞を覚悟していたが、思っていたほどではなく1時間で那覇市内の中心部にたどり着くことができた。 夜8時30分より明日からのイベントの段取りについてスタッフミーティング。 ミーティングが終わったのは午後10時過ぎ。 やっと晩御飯。 支社長それに夜10時に那覇空港に着いた広報マネージャのみどり嬢と合流し支社近くの沖縄料理風居酒屋で簡単な食事をする。 明日も早いので午前0時過ぎには切り上げそれぞれのホテルに戻った。  

2000年8月2日(水)

ラスベガスから帰ってきた早々出張である。 昼間通常の仕事を済ませ、夕方の便で沖縄に飛ぶ。 沖縄におけるIT人材育成のプログラムを沖縄県と共同で推進していて、それに絡めたイベントを実施するのが出張の目的である。 那覇市内のホテルに到着したのは夜11時前。 今回の出張は比較的長いことだし、海外出張の疲れも溜まっているのでおとなしく寝ることにする。 

2000年7月31日(月)

昨晩ラスベガスから戻り、息をつく間もなく朝から仕事である。 思いのほか仕事は溜まっておらず、まずは日常の仕事をかたづけはじめる。 気がつくと深夜1時を回っておりました。

2000年7月25日(火)〜30(日) ラスベガス

会社行事(ご褒美旅行)のため、家族を伴いラスベガスに行ってまいりました。

2000年7月9日(日) NRT→SFO

午前中、小太郎の子守りをし午後の成田エクスプレスで空港に向かう。 NEXの中で大学院のレポートを書こうとノートPCのスイッチを入れると、一瞬赤く光ったと思ったら、それっきり液晶の表示がおかしい。 画面の15%程度の領域しか表示されないではないか。 シャットダウンして電源を入れなおしても同じ現象。 ゲゲッ! これでは出張中仕事にならんぞ...しかもレポート(認知心理学特論)の提出締め切りは月曜日の夕方というのに、まだ何も手をつけていないし...これはピンチ。

サンフランシスコに到着し、PCの故障が気になるものの謎のメンバーとのランチの約束があるのでひとまずその現場であるSan Mateo のダウンタウンにある四川料理の店、リトルスーチャンに向かう。 ここでかんちゃんゆみさんかおるさんごとうさんと合流し昼間から辛〜い中華料理を堪能した。 かおるさんと、ごとうさんは今日会うのがはじめて。 ゆみさんは4月にサラトガではじめて会っただけで今日が2度目。 かんちゃんを除いて会社関係でもなんでもない謎のメンバーである。

提出締め切りまで9時間を切った認知心理学特論のレポートが気になる。 なにせまだ手もつけていない。 テーマは触覚による視覚代行器を例にした知覚に関するもので、自分の専門分野とは程遠い内容。 (何で認知心理学を? 単なる単位の数合わせです。) ランチを終えて、近所にあるホームセンターに行き15インチのCRTを緊急購入。 ノートPCに接続してみるとみごとに画面が出力される。 単に液晶の表示部分にトラブルがあっただけで、コントローラ自体は問題ないようである。 18時からはJALの守田さん夫妻、小川キャプテン夫妻と夕食の約束がはいっている。 時計は既に16時を回っている。 夕食までの2時間弱でなんとかレポートを書き上げてしまう。 (書き始めると超はやいんです) メールで東京にいる同じ研究室の大学院生にレポートを送り、代理で提出してもらいなんとか難を逃れた。

守田さん夫妻に小川キャプテン夫妻、小川キャプテンの息子さん、かんちゃん、それに一緒に出張で来た蒔田さんの8人で夕食にイタリアンを食べに行く。 今回は単なる夕食ということではなく、守田さんの転勤送別会も兼ねている。 ランチを食べたのが遅い時間だったので食欲はいまひとつだったのだが、いざ料理を目の前にすると難なく胃袋の中へと消えていくのでありました。

2000年7月1日(土)

今日は朝から暑い。 梅雨の合間の晴れ日である。 息子の小太郎はバスに乗りたい、カミさんは新しいCDコンポが欲しいとのたまうので、バスにのり家からちょっと離れたところにある家電製品店に行く。 朝昼兼用でケンタッキーフライドチキンでチキンフィレサンドを食べる。 ファーストフードの中でこのKFCのフィレサンドが一番好きである。
こんなに暑い日は研究室でクーラーをガンガンに利かせて研究にいそしむに限る。 ところが研究室の自分のデスクのPCの動作がここ2,3週間ほど不安定でいまひとつ仕事がはかどらない。 思い切ってHDDのリ・フォーマットとOSの再インストールをすることを決意する。 この際だからWindows2000にしてやれ、というわけでまずは近くのPCショップに走り、 Windows2000を購入。 せっかく学生証をもっているのだからということでアカデミックパックを購入。 いざインストールしようとするとインストール中にコピーエラーやら不正な処理がなんちゃらやら、エラー続出で先に進まない。 う〜ん、さすが院生が作ったPCだからメーカー製のPCのようにはすんなりとはいかないか。 めんどくさいのであきらめるか? しかしCP/Mの時代からPCを操っていたプライドがそんなことは許さない。 BIOS設定などを何度か変更しつつ、インストールのしなおしすること5回、何とかインストール完了。 ま、こんなもんでしょ。

2000年6月27日(火)

朝8時前にホテルを出て大阪空港に向かう。 9時の便で福岡に移動。 高速道路は思いのほかすいていて、20分ほどで空港に到着。 チェックインを済ませて手荷物検査場に並ぶ。 目の前にいる人物、どこぞでみたことあるゾ? 鶴瓶じゃないか。 まわりにいる一般の人も気さくに声をかける。(さすが関西人) 赤ちゃんを抱いたお母さんが近づき話し掛けると、彼は愛想良く赤ちゃんのほっぺを突つく。 自分の機嫌やその日のコンディションなんておかまいなしなんだから芸能人てたいへんな仕事だねぇ。
福岡に着くと街全体がバスルームの中にあるみたいに蒸し暑い。 まるで熱帯雨林の都市みたい。 仕事をかたづけ、夕方から福岡の支社長らと食事にでかける。 天神から少しはずれたところにある「無尽蔵」という板前割烹。 料理、酒ともに旨い。 これだから福岡出張はやめられないのである。

2000年6月26日(月)

余裕あるだろうとタカをくくっていたが、ギリギリの時間に羽田に到着した。 既に自動チェックイン機ではチェックインできず、チェックインカウンターに並ぶ。 時は既に出発の10分前。 既にチェックインはClosedとのつれない返事。 「じゃよその航空会社にダイバートするから裏書してくれ」とカウンターのおねぇいさんに言うと、確認の電話をし結局まだ間に合うとのこと。 だったら最初から確認せんかい!
てなわけで、なんとか無事大阪行きの便に乗ることができ午後からの仕事にまにあった。 日中仕事をかたづけ夜はあさりんと地中海料理を食べることに。 あさりんと丸3年ぶりに会う。 一段と大学のセンセという風格が満ちてきたような感じがする。

2000年6月25日(日)

朝9時前に目覚める。 朝食にパスタを食べ、コーヒーを飲みうだうだと2時間ほど過ごす。 梅雨だからあたりまえだが、このところ連日雨続きで息子の小太郎は外で遊べない為、ストレスが溜まっている。 朝からバスに乗せろとうるさいので、バスで三鷹まで行きそこから中央線の快速電車に乗り国分寺まで行く。 国分寺の駅の近くに小さなパーツショップがあり、通信関連の細々とした部品を買い求め行きと同じルートを戻る。 午後からは大学の研究室に行き、会社の仕事をかたづける。 ずっとほったらかしにしていた米国本社への意見書をまとめ参考資料を添えてメールで送る。 結局この週末はずっと仕事しっぱなし。 明日は朝から大阪出張。

2000年6月24日(土)

昔つきあっていた彼女の夢を見た。 あまりにせつない夢だった。 目覚めが悪い。 雨がいちだんと気持ちをブルーにしてくれる。
当初のスケジュールでは朝から大学にいくつもりだったが、仕事があまりに山積しているのでオフィスに出かけた。  オフィスがある高層ビルの窓からはいつもは東京湾から横浜まで一望できるのに雨で煙って何も見えない。 今日はとことんブルーな一日か... 日頃は気持ち(テンション)とモチベーションを意識して常に高いレベルに維持するよう努力しているが、今日ばかりはそれも無理のようである。

2000年6月14日(水)

米国本社から会議の召集がかかる。 前回はゴールデンウィークにあったのでしばらく会議は無いかとたかをくくっていたが甘かった。 今回は7月10日の週にサンフランシスコの本社で。 あと一月あるが準備がなにかと面倒である。 おまけに7月はご褒美旅行で7月25日の週に家族共々ラスベガスに行くことになっているので米国2往復である。 それでラスベガスから帰ってきた週の後半から沖縄に約1週間の出張。 7、8月はほとんどオフィスにいませんなぁ...

2000年6月12日(月)

午前8時にはオフィスに到着し、今日のミーティングの準備をする。 午前中に2つ、ランチを挟んで午後3つのミーティングをこなす。 結局最後のミーティング終わったのは夜9時過ぎ。 完全に集中力が欠如の状態。 気を取り戻し溜まっている事務処理それにe-mailを片付ける。 シカゴに留学中の元同僚、間瀬洋子嬢からひさしぶりにe-mailが入っている。 夏休みは日本に帰国して外資系企業の日本支社でインターンシップとして働くらしい。 彼女も相変わらずパワフルな生活を送っているようでうらやましく、そしてまぶしく見える。 時計を見るとあっという間に午前0時を過ぎている。 ぼちぼち帰ることにしませう。 (結局帰ったのは午前3時30分でした)

2000年6月11日(日)

朝から息子の小太郎とお留守番。 外はあいにくの雨でおでかけもできないので、一日家にこもりっきり。  昨日のゼミの続きのフーリエ解析に関する書籍(英語)を読みながら、訳をTeXで書いていく。 おかげで肩がこりにこってしまった。

2000年6月10日(土)

久々に大学の研究室に行き、ゼミに出席する。 お昼ご飯は学食で食べ、午後も研究室で過ごす。 夕方美容室に行き、伸び放題の髪の毛をばっさりとカット。 気分もすっきり。

2000年6月5日(月)

毎週月曜日は朝から夜まで会議のオンパレードである。 今日は午後5時半で切り上げ、羽田空港に向かう。 空港の蕎麦屋で冷やしごまだれうどんを胃袋に詰め込み、沖縄行きの最終便に飛び乗る。 バカンス? いえいえいつもとおりの仕事、出張です。 那覇空港に降り、ホテルに到着したのは午後11時過ぎ。 部屋に荷物を置き、顔を洗って再びタクシーに飛び乗り那覇の中心地に向かう。 すでに時計は午前0時を回っている。 部下の行きつけの沖縄料理の店に行き、代表的な沖縄料理とビールそれに泡盛を楽しむ。 ほんの軽く食事をするだけのつもりだったが店を出てホテルに戻った時には午前2時を回っていた。

2000年6月4日(日)

昨晩はおそくまでカミさんの大学のレポートの作成につきあわされた。 結局自宅にあるPCが貧弱という結論にいたり、朝から家の近所のパソコンショップに新機種を調達に行く。 どうせ1〜2年程度で陳腐化してしまうし、ワープロとe-mailそれにTeXが使えれば良いので基本性能重視で安いPCを選ぶ。 店の店員がとくとくと商品説明してくれようとするが、こっちときたら時間もないし、なまじの店員よりは知識はあるので早々に金を払いその場を退散する。(僕もいちおうIT関連企業の社員ですぜ)
お昼すぎから三井ハウスで新築中の家の設備関連の打ち合わせをする。 2時間程度で打ち合わせは終わるかと思いきや、延々4時間半にも及びヘトヘトの状態に。 各部屋にLANの接続端子を出したり、サーバールームがあったりとちょっと普通とは変わった仕様の家ができあがる予定である。

2000年6月3日(土)

朝10時の便に乗り、東京に戻る。 羽田から秋葉原に行き無線関連の部品を買い自宅に戻る。 東京は蒸し暑くなんともいえないだるさが漂う。 カミさんが晩飯を作るのが面倒というので、調布駅の近くにあるカレーショップに行く事にした。 この店で食べるのはいつもドライオムと決めている。 ここのドライカレーの辛さときたら、辛いのなんの。 頭の毛穴から汗がいっせいに吹き出る。 その辛さをオムレツの卵でくるんでマイルドに仕上げてある。 食べたあとの爽快感がなんとも心地よい。

 

2000年6月2日(金)

6月から新年度である。 何とか昨年度も無事終え、まずまずの成績で終えることができた。 しかし気を抜くまもなく新年度も全開でスパートである。 というわけで1泊2日で福岡出張。 朝比較的ゆっくりめの便で福岡に飛ぶ。 福岡に到着した後客先とのアポの時間まで少し時間があったのでキャナルシティの中にあるPCショップに立ち寄る。 スケジュール管理をする為にPlam Vx を買おうと1ヶ月前から思っていたのだが、たまたま行った東京のディスカウントショップではこのモデルが売り切れていた。 福岡のショップでもし東京都同じ値段で売っていたら買おうと覗いてみたら、やはり同じ値段。 即衝動買い。 これまでスケジュール管理にはコンパックのWindows CEマシンを使用していたが、ポケットに入るほどの大きさでもなく、また電池の持ちが悪いので難儀していた。 これで一段とモバイラー生活が充実である。

客先での商談を終え、お客様と天神から少し外れたところにある高級いけす料亭で接待を受ける。 いつもながら福岡の魚はうまい。 特に烏賊の活き造りは感動もののうまさである。

 

2000年5月8日(月)

連休も終わり。 前半は海外出張で中盤以降はカレンダーとおりに出勤したので5連休。 今回は休み中に仕事にはいっさい手をつけなかったので、比較的リラックスした休日が楽しめた。 しかしまた今日からは慌ただしい毎日の繰り返しが始まる。 

2000年5月7日(日)

朝6時ちょいに目が覚める。 コーヒーを片手にそのまま書斎にこもる。 日本時間朝7時からのJANETのロールコールにチェックインする。 21MHzの伝搬状況はあまりよくなく San Jose にいるコントローラー(KD6IH)の声が聞こえるだけ。 ロールコールにチェックインしているFoster City の守田さん(W6/JA6SOV)やSan Francisco のダウンタウンにる鈴木さん(W6/7M1STT)の信号はまったく聞こえない。 無料のインターネット電話サービスを使って守田さんに電話をし話をする。  このサービス音声遅延はあるものの、何とか話しはできまぁ使いものになる。  ロールコールの後周波数を変波して、横浜と川崎の局と交信する。

2000年5月3日(水)

カミさんの誕生日。 どうやら25歳をすぎたあたりから歳をとらないらしく、いつも「25歳」とのたまっている。 おかげで本当の歳がわからなくなってきた。(笑) お昼に近くのレストランで娘、息子それにカミさんの合同お誕生会をする。 午後からは書斎のかたづけをしたり、論文を読んだりとのんびりとした休日を過ごす。

2000年5月2日(火)

昨晩は早く寝たのと、時差ぼけのせいもあって朝4時前に目が覚める。 せっかくなので事務処理ごとをかたづけ、朝風呂に入り朝食を食べ6時まえに家を出てオフィスにむかう。 朝早くしかも連休中とあって電車はガラガラ。 7時前にオフィスに到着し、溜まっていた書類にサインをすることから始める。 うちの会社は5月が年度末ということもあって、人事考課の時期である。 てなわけで今日は朝からたて続けに5人の面談(評価面接)を行う。 時差ぼけのせいもあって夕方頃には極度の睡魔が襲ってくる。 もう目を開けているのがせいいっぱい。

2000年4月30日(日) SFO→日本 5/1(月)

シャワーを浴びて荷物のパッキングを済ませ、ホテルのレストランで朝食を食べる。 少し早めだが10時ちょっと前にホテルをチェックアウトし空港に向かう。 レンタカーを返し、シャトルバスで国際線ターミナルに。 チェックインを済ませ出発までの2時間ほど昨日買った論文集などを読み時間をつぶす。 連休の中日とあって、日本に向かう客は少なくかなりの空席がめだつ。 今日の便の使用機材は新型で、エコノミーシートにまで個人用テレビ画面が装着されているタイプ。 旧型の機材ではビジネスクラスでも見れる映画が4本しかないのに、新型機材では8本見ることができる。 ただしオンデマンドでないので始まる時間を合わせるのがちょっと難。 帰りの便では一睡もせずにずっと映画を見て起きていた。 邦画は松たかこ主演の「4月物語」と反町たかし主演、藤原紀香・田中麗奈出演の「GTO」。 4月物語は淡々とした流れで、ただせつなさを描いただけで情景はきれいだけれど今ひとつ。 GTOは娯楽映画なのでそれなりの面白さ。

2000年4月30日(土) SFO滞在中

朝8時前に目覚め、ホテルのレストランで朝食をとる。 会社の近くのホテルSofitelに泊まっている時の朝食メニューは、Eggs Benedict と決めている。 1週間ぶりにまともな朝食を食べる。 朝食を済ませスタンフォード大学のBook Store までアンテナ工学関連の書籍を買いに行く。 ちょうど探していた複数の論文がひとまとめになっている論文集がおいてあった。 ページ数がかなりあり重いのだがこれまたとないチャンスなので買う。
その後かんちゃんと待ち合わせし守田さんのお宅に行く。 外付けのSCSI HDD がうまく認識されないとのこと。 見てみると確かに認識されない。 何台かのSCSIデバイスをチェイン接続しているが、もしやこれが原因かもしれない。 接続を最少にしてみるとやはり旨く認識するようになった。 どうやら旧SCSIデバイスとUltra SCSIデバイスをチェインしすぎるとうまくないようである。(バス仕様の違いによる伝搬エラーが起こるのか?)  思いのほか早くにトラブルシュートが終わり、お昼ご飯は守田さんの奥様に無理を言ってラーメンを作っていただいた。 今回の出張では麺類をほとんど食べておらずラーメンが食べたくてしかたなかった。 塩ラーメンを作っていただいたが、これまた逸品で、Bay Area で一番旨いと言われる Santa を凌ぐ旨さである。 ホント。
夕方からかんちゃんと共にカリフォルニア・ワイン・ファン・クラブ(CWFC) の会合(宴会?)に出かける。 このクラブもともとは日本国内のクラブ組織なのだが、今回初の海外でのパーティを開催したとのことで、ラッキーにもその初パーティに参加することができた。 すばらしいワインの数々が用意されていて、1度にこれだけの種類のワインを味わえるのはそうありえない。(もちろんすべてカリフォルニアワイン) 幹事の皆々様ご苦労様でした。

2000年4月28日(金) SFO滞在中

朝、空港で上司を送り見送る。 その後会社に行き、残ってあった課題についてミーティングをいくつかこなす。 ひとまずこれで今回の出張の仕事はすべて終了。 夕方、会社の隣にあるホテル Sofitel にチェックイン。 夜はサンフランシスコ在住の若い連中(ケイちゃん、かんちゃん、Megさん、まきさん)それに守田さんとSan Mateo のダウンタウンにある四川料理の店(リトルスーチャン)で辛い料理の数々を堪能する。 スーチャンとは「四川」の中国語読みらしい。 冷製辛そば(辛い冷やし中華 or 辛い冷やし焼きそばとおもってください)、薄くスライスした豚ロース肉に辛いソースをかけたものなど旨いのなんと。 それにしてもこの店は安い。 値段では日本の餃子の王将に匹敵、あるいはそれよりも安いかも。 ただしリトルスーチャンはまともなレストランで、その点でははるかに王将に勝っている。

2000年4月27日(木) SFO滞在中

朝8時30分にホテルをチェックアウトし、Napaに向かう。 CA1を北上し、R280、R101、R80を経由して10時にはNapaに到着。 有名なワイナリーを2ヶ所ほど回って、St. Helena Hwy 沿いのレストランでランチを食べる。 その後 Napa Air Portに隣接するJAL Flight Crew Training Center のある場所を確認し帰路に着く。 午後3時前にはダウンタウンの日航ホテルにチェックイン。 しばし休憩し今夜の夕食も寿司。 日航ホテルの裏通り(Ellis)沿いにある勘太郎寿司。 これでこの店に来るのも3度目。 日本の寿司屋に比べればなんてことはないのだが、値段とネタからするとお奨め。
深夜1時(日本時間の28日午後5時)に東京に国際電話をかけ、今日で退職する秘書の花束贈呈セレモニーにテレカンファレンスで参加。

2000年4月26日(水) SFO滞在中

今朝も朝9時から会議。 まともな朝飯もないし... 今日のランチは昨日よりはましだが、これまたまずいサンドウィッチ。 ほんとんど監禁状態なので楽しみは食べることくらい。 夜は初日と同じ「Sushi Main St.」。 刺し身とソフトシェルの唐揚(これがうまい!)、それににぎり寿司を堪能。 ホテルに戻り、テラス脇にあるジャグジーバス(露天)につかり、疲れを癒す。 夜9時には早々とベッドに入り爆睡。

2000年4月25日(火) SFO滞在中

朝9時からミーティング始まる。 内容? それは書けません。 一日中ひたすら会議。 もちろん英語。 日本からの2人を除いてあとは全員ネイティブイングリッシュの連中ばかり。 これだけでも形勢は不利? 午前中は時差ぼけもあまり感じなかった。 ランチはなぜかテラスでメキシカン。 日差しはつよいし飯はまずいし、ついでに眠気が襲ってくるし... 午後からは睡魔との闘い。 う〜しんど。

2000年4月24日(月) 日本→SFO

朝、赤坂本社に行き役員会でプレゼンをした後、東京駅から成田に向かう。 今年になって3度目のサンフランシスコ出張である。  使用する機材到着が遅れたことと、出発時間に成田上空に発達した積乱雲があって滑走路の端で待機していた為、離陸したのは定刻の1時間遅れであった。 しかし気流の関係でサンフランシスコ到着はほぼ定刻通りになった。 機内では夕食を済ませた後、映画も見ずに睡眠薬を飲んで到着の1時間前までぐっすりと眠ることができた。
サンフランシスコ到着後、税関検査出口で守田さんと落ち合い、お土産代わりに頼まれていたPC周辺機器を渡す。(これで荷物が半分になった) その後レンタカーヤードに行き、レンタカーをピックアップする。 予約してあるので電光掲示板に表示された名前とプラットフォーム番号を見てその車に乗り込むだけなのだが、名前がリストされていない。 しかたなくカウンターの列に並び、予約の確認をしてもらい鍵を受け取る。 ついでなので車種をジャガーに変更してもらう。
さっそく本社に行きアメリカ人のボスと2時間ほど会議をし、夕方5時にホテルにチェックインする。 今回のホテルは外海に面した Half Moon Bay にあるBeach House Inn というこじんまりとしたホテル。 ホテルというよりモーテルあるいはロッジといったほうが適当かもしれない。 部屋は比較的広く、リビングが充実している。 目の前はビーチで眺めはまずまず。 一休みしてホテルから4マイル離れた場所にある和食レストラン(Sushi Main St.)に行く。 ホテルのフロントで紹介してもらった店で、あまり期待していなかったが着いてみてその期待は良い方に裏切られた。 雰囲気も良く、日本人の板前さんが作る料理はとても旨い。 値段も手ごろで気に入ってしまった。 シリコンバレーの本拠地からは少し離れているので、日本人の客は少ないらしい。

2000年4月22日(土)

朝7時過ぎに眠い目をこすりながら(いや、花粉症でかゆいのか?)、コーヒーをすする。 昨晩会社から戻ったのは午前4時前だった。(仕事で) 来週からの出張の為の資料作りがまだ終わっていない。 自宅では元気な息子がいて邪魔されるので大学の研究室で仕事の続きをすることに。 お昼過ぎ、カミさんから携帯に電話がある。 お出かけをしたいので子守りを代って欲しいとのこと。 カミさんは先週受験していた桐朋音大の臨床音楽療法コースの入試発表が張り出されるのを見に行くらしい。 その後カミさんから連絡あり、合格していたとのこと。 1年間の履修コースだがなかなか面白そうである。 問題は子守りの分担をどのようにするかである。(笑)  

2000年4月19日(水)

ホテルの部屋は少し暖房がききすぎていたせいか、あまりぐっすりとは眠れなかった。 少しゆっくりめ(8時)にベッドから抜け出しシャワーを浴び髭を剃る。 コーヒーを飲みたいが部屋にはサーバーは無い。 しかたなく我慢しあとでオフィスに行ってから飲むことにする。 このところ大阪ではリッツカールトンを定宿にしているのだが、あいにく満室とのことで今回はリーガロイヤルに初めて泊まってみた。 ラグジュアリープランの部屋とのことで、少し広めの部屋だがコーヒーサーバーがないのはチョット残念。 リッツカールトンは部屋にフルーツまでおいてある。 しかも無料。  けっきょく朝食も食べないまま午前中支社で打ち合わせ。
夜大阪から戻り、夕食と入浴を済ませ大学の研究室に行く。 大学院生数名が夜の研究室で調べ物などをしている。 よく「最近の学生は勉強しない」などと言うが、この研究室の学生についてはそれは当てはまらない。 悲しいかないつも研究室で黙々と研究に励んでいる。   


2000年4月18日(火)

昨晩自宅に帰りついたのは午前2時。 風呂に入り眠りに就いたのは午前3時をまわっていた。 さすがにいつも通り(6時30分)に朝起きるのがつらい。 ちょっと遅めにオフィスに到着し午前中は来客の対応。 お昼は面接を兼ねて派遣社員の人とイタリアンを食べる。 しばしのんびりとランチを楽しんでいると「取材の人が既に到着しているので早くオフィスに戻って来い」との電話。 日経BP社関連の取材が立て続けに2件。 認定技術者資格制度の総責任者をしていることもあり、このところほぼ毎週2件の取材が何かしら入っている。  取材の後、上司と来週の海外出張の打ち合わせをし時間に追われるように羽田に向かう。 18時発の大阪(伊丹)空港行きの便を予約していたがギリギリの時間になってしまった。 何とか15分前に空港に到着。 大阪到着後、大阪勤務の同僚と合流し夕食を食べに行く。 繁華街からちょっと入った路地にある串カツ店で、2階に小さくマジ切られた座敷がある。 貸し切り状態と言っても良いくらいガラガラの状態。 これで商売がなりたつのだろうか? と疑問に思っていると「この店はここが本店で、表通りに支店がある。 支店のほうはいつもいっぱい。」と同僚。 なるほど納得。


2000年4月8日(土)

本部のマネージャ会議が招集された。 来年度(6月〜)の組織や経営計画について議論する為のミーティングで正午に集合ということで、時間に余裕もあるし天気も良いので自転車でオフィスまで行くことに。 片道約10km、40分の道のりである。 途中桜の並木が何個所かあり、桜吹雪の舞い散る中を気持ちよく自転車で通りすぎてきた。 夕方6時過ぎまで会議をし、その後事務処理を片づける内にオフィスを出たのは夜10時を回ってしまっていた。 


2000年4月7日(金)

大学院の入学式に出席する為、会社はお休み(有給休暇)。 娘も同じく今日が入学式な為、カミさんはそちらに出席。あまりに元気な息子の小太郎を連れて入学式に出席するわけにもいかないので、学部時代の同級生の恵ちゃん(新婚2ヶ月目)に子守りをお願いした。ちなみに小太郎は「人見知り」なんてこととは縁遠いらしく、遊んでくれる人なら誰でもオッケイって感じであります。
入学式自体は1時間ほどで終わり、その後専攻科ごとに分かれてのオリエンテーション。 さらに矢部教授と矢加部先生と研究計画についての打ち合わせをし、なんだかんだしている内に夜の7時過ぎになってしまった。


2000年3月31日(金)

那覇市内のコンビニで課長・島耕作ドリンク、部長・島耕作ドリンクなる栄養ドリンクを見つけた。 島耕作が元気(エネルギー)のある男の象徴という意味なのだろうか? にしても課長・島耕作ドリンクのラベルはどう見てもセクハラ課長って感じがするのは僕だけだろうか?


2000年3月30日(木)

ホテルのレストランで朝食(ブッフェスタイル)を食べる。 さすが沖縄のホテルだけあって、スクランブルエッグに並んでゴーヤチャンプルが用意されている。(笑) 今日は朝から6件の客先を回り精力的に仕事をこなした。 あっという間に夕方になり、いったんホテルに戻り提案資料の作成をする。 今日訪問した客先のひとつが、最新の数字を持って明日朝もう一度打ち合わせしたいとのリクエストがあった。
1時間ほどで資料作成は終わり、同僚らと3人で夕食に出かける。 今夜も地元の人だけが行くような沖縄料理中心の小料理屋「美石」に行く。 同僚N氏のふれこみでは「美人五姉妹がやっている」とのことであったが、訪れてみてそれは本当だった。 特に三女のたみちゃんは明るい性格で誰からも好かれるタイプである。 その証拠に店はこのたみちゃん目当てのおやじたちで満員であった。(笑)


2000年3月29日(水)

午前中会議を済ませ、午後3時過ぎの便で沖縄に向かう。(仕事でっせ) 夜7時前に那覇空港から車で10分のところにあるホテルにチェックイン。 フロント前はツアーの観光客であふれている。 部屋に入り、事務処理を少し済ませ沖縄営業所開設の準備に来ている福岡支社の同僚と合流し食事へ。 ごく地元の人々が行くような、沖縄料理の店に行く。 ゴーヤチャンプルやソーメンチャンプルを食べながら、明日からの仕事の打ち合わせで2時間ほど過ごす。 コンビニに寄り、ミネラルウォータを買ってホテルに戻り、シャワーを浴びて就寝。 なんともまじめな沖縄の夜である。 ホント(笑)


2000年3月26日(日)

朝9時に大学に行き、大学院の入学手続きを済ませる。 都合52万円也を支払いひとまず4月から再びレギュラーの学生身分(大学院生)となることに。 これで電車はもとより、ボーリング、ラーメン屋等々で学割が使えることに。(笑)

カミさん、子供らと合流し、カミさんの実家の法事(カミさんの祖母の三回忌)に出かける。 お寺さんに来てもらいお経をあげていただいた後、仕出料理で昼食会。 メインディッシュ?の天ぷらは完全に冷めていてチョットいただけない。(←ぜいたくを言うものではない)
午後3時過ぎに自宅に戻り、ホコリまみれになっているガレージの掃除をする。 あまりのホコリと花粉に、涙と鼻水がボロボロ。
一段落した後、「オラクルマスター・オフィシャルハンドブック(ASCII刊)」の監修作業に取り掛かる。 増刷に伴うデータの修正およびアップデートの作業だが、思いのほかデータの修正箇所が多くなり、赤ペンで修正した箇所だらけで本は真っ赤。


2000年3月25日(土)

アンテナメーカーの仕事の関係で、朝から車で川越まで出かける。 高速道路、一般道ともに混雑していて川越に到着したのはお昼直前になってしまった。 実験の準備をしてすぐにランチタイム。 お昼から簡単な実験を済ませ、午後3時過ぎに川越を後にする。 帰りは道を選んだせいもあり、朝ほどの渋滞に巻き込まれることなく比較的スムースに自宅まで戻れた。

自宅に戻ってみると、3ヶ月間ほど空き家だったお隣に引っ越して来たようである。 小一時間ほどしてご主人と奥様が挨拶に見えられた。 ごくごく普通のきちんとされた方で、ご夫婦とこの4月から音大に入学する娘さんと3人で住まわれるとのこと。


2000年3月10日(金) SFO滞在中

Oracle Corp. のラリー・エリソン会長の案内で彼の新築中の邸宅を見学する。 桂離宮を模したもので、そのスケールたるや半端なものではない。(金持ちの考えることは理解できん) 完成は来年8月とのこと。 完成し、池に水を張った状態で再び見てみたいものである。

その後サンフランシスコのダウンタウンに移動し、フィッシャーマンズワーフにほど近い、エンバカデロセンター駅の側にあるハイアットリージェンシーにチェックインする。 シャワーを浴び着替えを済ませ、サウサリートにあるレストランに夕食に出かける。 海辺に立ち、サンフランシスコの夜景がきれいに見えるとてもムーディーなレストランだが、野郎3人という色気の無い食事。


2000年3月9日(木) SFO滞在中

今日も朝から会議を済ませ、午後時間が少しできたのでスタンフォード大学のブックショップに出かける。 目当てはアンテナ工学関連の本なのだが、これと言ってめぼしいものも見つからないので結局何も買わずじまい。

夜は会社主催のパーティがあり、中華料理(今晩のはそれなりにうまかった)を楽しんだ。


2000年3月8日(水) SFO滞在中

昨晩は夜中の2時前に日本からの電話でたたき起こされてしまった。 妙に目が冴えてしまい、結局朝まで寝付けずにホテルの部屋で仕事をしてしまった。 シャワーを浴びてホテルのレストランで朝食(いつものエッグ・ベネディクト)を済ませ、会議に出かける。

夕方6時にJALの守田さんと合流しサンマテオのダウンタウンにある和食処きさくに出かける。 ここで神ちゃん、さかたまきさんと合流。  いつものメンバーなので写真は省略。


2000年3月7日(火) SFO滞在中

朝6時30分に起き、シャワーを浴びてチェックアウトの準備をする。 今回の出張はホテルを転々とするスケジュールになっていて、なんとなく慌ただしい。 7時30分にホテルを後にし、サンフランシスコを南北に走るR101を南に向かう。 比較的早い時間なのでまだ混雑はしておらず、40分ほどで本社に到着。 朝9時から夕方まで連続して会議。 さすがに眠い。
夕方6時過ぎに会議が終わり、さらにR101を南に車を走らせサンタクララという街にあるホテルに向かう。 最近シリコンバレー近辺のハイウェイは朝夕の時間帯は混雑が激しく、今日もご多分に漏れずかなり渋滞している。 いつもなら30分もあれば着くような場所が、1時間以上もかかってしまった。 ホテルで本部長を降ろし、すし屋が近くの町にあるとホテルのコンシェルジェで聞きそこに向かう。 着いてみるとそこは何と回転すし屋ではないかいな。 腹が減っていたので何はともあれ食べることに。


2000年3月6日(月)

午前中、文京区小石川に新築中の家の地鎮祭を行う。 神主さんに来ていただき、鍬入れの儀式を行い工事の安全と家の繁栄を祈願した。 午後から雑誌の取材で社長のインタビューがあり本社に向かう。 その後午後3時30分の成田エクスプレスで成田空港に向かう。 部下と上司と合流し、いつも使う夕方6時のJL002便でサンフランシスコ(SFO)に向けて出発。

SFO到着後レンタカーをピックアップしてすぐに本社に行き、 IDバッジの更新などを済ませダウンタウンにある日航ホテルにチェックイン。 夕食まで少し時間があるのでEddie Bauerに行きチノパン1本を購入。 いつも買うのは定番のチノパンで、$29〜$40のもの。 日本にもEddie Bauerはあるが、こちらだと日本の2/3程度の値段で買えるのでいつも米国出張に出たときに買うことにしている。

夕食は本部長と部下と3人で中華街に出かける。 Empress of China という比較的高級店だが、味はイマイチ(イマロク?)であった。 いつも食べる寿司(勘太郎寿司)にしておこうかという意見もあったが、その通りにしておくべきだった。


2000年3月4日(土)

大学の同級生、石黒裕輔君(26)と對馬恵(26)さんの結婚式の司会を務めた。 彼らは学生時代よりつきあい始め、途中別れただのなんだと言っておきながら、結局は東京−函館の遠距離恋愛を実らせめでたく結婚となった次第である。 披露宴には親戚・友人ら80名近くが駆けつけ、賑々しくそしてちょっと涙誘うものであった。


2000年2月23日(水)

モーニングコールの電話のベルで目覚め、シャワーを浴びホテル内の和食レストランで朝食を済ます。9時前にチェックアウトしホテルから歩いて3分程の距離にある北陸営業所に顔を出す。 北陸営業所のメンバーとすぐさま客先に向かい、30分ほど客先で先方の社長と面談する。 一端営業所に戻りメールのチェックや電話連絡を済ませ、北陸自動車道を使い富山に入る。 道は空いていて45分ほどで富山市内に到着。 午後からの客先訪問の前に食事を済ます。 「日本一の回転寿司」と豪語する店に入る。 かなり広い店内にベルトコンベアで寿司が回っている。 一見広めの回転寿司店だが、ネタの新鮮さとうまさにおもわず唸ってしまった。 おまけに安い。
食事を済ませ富山市内の中心地にある客先を訪問。 商談の途中だが、福岡に移動しなければならないため他のメンバーを残して中座する。 表通りに出てタクシーをつかまえようとするがなかなかつかまらない。 飛行機の出発時間まであと30分。 少々焦る。 やっとタクシーがつかまり乗り込むと運転手はまだ若いおねぇさん。 年配の女性の運転手のタクシーには乗ったことは何度もあるがこんな若い運転手ははじめて。 ゆっくりと乗っていたいところだが、20分ほどで富山空港に到着。 急ぎチェックインを済ませ福岡行きのANK便にかけ込んだ。 座席に座ってまたびっくり。 この便のスッチーのおねぃさん達が揃いもそろって美人ときた。 こんなことは珍しいぞぉ。 (^^;;


2000年2月22日(火)

先週からずっと徹夜状態の毎日。 平均睡眠時間は2時間30分。 我ながらよく体力が続くものだと感心。 午前中会議を済ませ、午後ひさびさに慌ただしさから開放される。 夕方6時の便で直属の上司である本部長と金沢(小松空港)に向かう。 スケジュールでは45分間のフライトだが着陸直前に自衛隊機の緊急着陸とランウェイ上での故障のため、30分近く上空でホールドさせられる。 着陸後小松空港から金沢市内まで高速バスで45分。 ホテル(日航ホテル金沢)にチェックインし、先発で金沢入りしている部下と、北陸営業所のメンバーと合流し食事に出かける。 行った先は地元の魚を出す小さな割烹「山下」。 生蟹、白子の石焼き、のどぐろ(深海魚の一種で高級魚)の塩焼き等など日本海の味覚を「これでもか!」というくらいに堪能した。 徹夜続きのつかれも吹っ飛ぶ感じ。


2000年2月20日(日)

少しゆっくりめに寝ていたかったが、いつも通りの時間にカミさんに叩き起こされる。 顔を洗い、すぐさま書斎にこもって今週予定している会議の資料作りにとりかかる。 本当は朝から会社に出社するつもりだったが、害虫駆除の為の消毒があるとかのメールが届いていたので出社は夕方に延ばし、ひとまず自宅で仕事することにした。 外はみぞれ交じりの雨でけっこう冷え込んでいる。 お昼前に雨があがったので、駅前にあるファミレスに出かけブランチをとる。 ピザ(マルゲリータ)と、カルボナーラ・スパゲッティそれにビーフシチューと飲み物をオーダーし、家族4人でシェアして食べる。 みぞれ交じりの天気だったせいか休日の昼時というのに客はまばらである。
小一時間ほどのブランチを楽しみ、息子と二人で先に家に戻る。 息子を寝せつけ、再び仕事の続きにとりかかる。 平日はなかなか落ち着いてできない資料作りも休日だと落ち着いてできる。 休日だからのんびりとしたい気持ちもあるが、やらなければいけないことが残っていると落ち着かず、かえってストレスとなってしまう。 「あなたは鮫のよう。 常に動いていないと死んでしまう。 それにいつも獲物をねらっている。」とカミさんの評はあたっているかも。

2000年2月19日(土)

朝食を済ませ、大学の研究室に行く。 学部生の卒業研究発表会の予行演習に出席した。 どの大学でもほとんどそうだろうが、工学部では卒業年次に研究室に配属され卒業研究が課せられる。 最終的に論文としてまとめ、それを発表会(公聴会)で披露し審査を受けることになっている。 つまりその発表会に向けての練習を研究室であらかじめ行っておくのである。
それぞれの学生は研究自体はしっかりと取り組んでいるのだが、そのまとめかた特にプレゼンテーションのための整理がうまくできていない。 研究室の中での予行演習とは言え、教授の怒鳴り声と厳しい指摘が飛び交う。 小山もプレゼンテーションおたく(?)としての立場から言いたいことをのたまう。

2000年2月18日(金)

今週は何かと急ぎの仕事が目白押しで、徹夜の日々が続いてしまった。 20歳台の頃は連日徹夜してもそうでもなかったのが、さすがに30歳台後半になると堪える。 我が家はほとんど母子家庭状態。 「寝に帰るだけ」ならまだしも「風呂に入るだけ」なんて日まで今週はありました。
ところでこの夏にまた文京区に越す(戻る)ことになりました。 カミさんの実家が古くなり建替えなくてはならず、この機会に2世帯住宅を建てることにしました。 既に古い建物は解体中で、今週中にもサラ地になる予定です。 今回は趣味の無線用のタワー(鉄塔)も立つ予定で、それだけを楽しみにしております。

2000年2月15日(火)

アメリカから一時帰国している神ちゃんを囲んで雑多なメンバーで親睦会を開いた。 メンバーのほとんどは、この日記の愛読者らしく、しかもこの日記に書き込みをしたいというので、書いてもらうことにしました。

(佐々木直子)こんばんは。先月から小山さんの部下になった佐々木@旧坂口です。なんだか楽しい仲間達の飲み会ですね。 でも私の歳、ほんとわかってんのかなあ。。。

(神ちゃん)今日は皆様お忙しいところ私木村拓哉のためにお集まりいただきおおきに。あーんど、なんか、いい感じ→みたいな。さんきゅー。 かんちん ← アメリカに住んでいる間に、ずいぶんと脳が冒されたようで (by 小山)

(坂田英純) 坂田です。サンフランシスコでは御世話になりました。 誕生日は、12月15日です。よろしくお願いします。 ← 何をよろしくしろっちゅうんじゃ!(by 小山)

(^^;; あれれ。 日記というよりなにやら「落書き」って感じですね。

2000年1月29日(土)

朝目覚めてシャワーを浴び、広島駅構内にあるマクドナルドで朝食を済ます。 大阪支社の同僚と合流するまでの時間、ホテルの部屋でテレビを見て過ごす。 広島では「TVタックル」が土曜日の朝に放映されているんですねぇ。(しかも去年の11月の再放送)
小1時間ほどローカル線の列車に乗り、広島から呉市まで行く。 呉と言えば軍港として栄えた町で、リアス式海岸の湾の入り江に港が広がる風景は横須賀や京都府の舞鶴と似ている。

2000年1月28日(金)

取引先でご不幸があり、急遽夕方から広島に行くことになった。 あわただしく仕事をかたづけ、いちど自宅に戻り喪服などの準備を整えてから東京駅へ急ぎ同僚とともに広島行き最終の新幹線に飛び乗る。 広島に着いたのはほとんど午前0時。 ひとまず駅に隣接するホテルにチェックイン。 腹は減れども駅の近所に店はなし。 とほほほ...

2000年1月7日(金)

このところ映画を見る機会が割とある。 と言っても映画館に行くわけではなく、すべて飛行機の中の映画(In fright Movie)ばかりである。 
近頃見たのは「ノッティング・ヒルの恋人」、「ランナウェイ・ブライド」、「大空のかなたに」、「ハムナプトラ」、「鉄道員(ぽっぽや)」、「メッセンジャー」。 前者2本はベーシックなラブストーリー。 「大空のかなたに」は理工系スポコンサクセスストーリー?って感じのストーリーで、炭坑町に住む高校生がロケット作りに情熱を傾け、栄光の道をつかむというもの。 「ハムナプトラ」はインディージョーンズのパクリって感じで途中で寝てしまったのでよくわからない。 基本的には洋画よりも邦画のほうが好き。 「鉄道員」は健さんの演技はしぶかったが、幽霊役の広末涼子がいまいちって感じ。 同じアイドル系が主演の邦画ならば、ちょっと古いけれどロンドンに行くときの飛行機の中で見た「がんばりまっしょい」の方が感動的だった気がする。 「メッセンジャー」はホイチョイの軽いタッチのストーリーで純粋に楽しめた。

2000年1月6日(木) SFO滞在中

昼間の仕事のことは省略(機密事項多すぎて書けるわけないですわなぁ)。
今夜もSan Mateo の4th Ave. にある日本食レストラン「きさく」。 神ちゃんまきさんそれに坂田さんと夕食をとる。 その後このまきさん、アマチュア無線の免許をもっていることが判明。 けっこうおたく趣味じゃん。(笑)

2000年1月5日(水) SFO滞在中

今日もすっきりとした目覚め。 朝食を済ませ本社に行き午後からのミーティングの準備をして午前中を過ごす。 お昼ご飯は日本から持ってきたカップヌードルで軽く済ませる。 午後からは3つのミーティングをそこそこにこなす。 話の成り行きから明日と明後日の朝、米国本社のお偉いさんと朝食を食べながらのミーティングがセットされてしまった。(いわゆるパワーブレックファーストってやつ)
夕食はSan Mateo の3rd Ave. にある日本食の食堂「ほたる」でカツカレーを食べる。(カツは揚げたてでうまい!) こちらに来ていても朝食以外は食生活は日本にいるときとさほど違いはない。(朝食はついつい豪華) 夕食をさっと済ませ、坂田さんのお土産ショッピングに付き合い、近くのショッピングセンターに行く。 ひとまず待ち合わせ時間を決め別行動をとることにしたが、小山の場合特に買い物には興味は無いのでベンチに座ってしばし居眠りをすることに。

2000年1月4日(火) SFO滞在中

夜中に目が覚めることもなく朝までぐっすりと眠れた。ひとまず時差ぼけの心配はなさそう。(適応性の高いヤツ) ホテルのレストランで朝食をとり会社に出かける。 日中はミーティングの準備をし、夕方に某航空会社勤務の守田さん夫妻、廣田さん夫妻、それに中村さんらと合流し、Half Moon Bay のシーフードレストランに出かける。 ここのフライドカラマリ(要はいかリングフライ)や、ガーリック味の蒸しあさり(大きさはほとんどはまぐり)は逸品。 この他にもシーフード、パスタをみんなで食べ楽しいひとときをすごしました。
この店のウェイトレスのおねぇいさん達もなかなか愛想が良く、早口な英語でまくしたててくれます。 はい。
夕食後、もう一度会社に戻り日本との電話連絡やe-mailの返事などを書き、午後11時過ぎにホテルに戻る。

2000年1月3日(月) SFO滞在中

正月そうそう海外出張であります。(いつものサンフランシスコ/SFO) 2000年問題のあおりでこの年末年始に海外に出かける人はやや控えめで、今日から海外脱出組も少なくないとテレビのニュースで報じております。 何やら成田の出発ロビーが混雑していそう。
NEXで成田空港に到着し、あらかじめ自宅に集荷に来てもらっていた荷物をピックアップし、チェックインを済ませる。 確かにエコノミークラスのカウンターはどの航空会社も混み合っております。 ただしビジネス/ファーストクラスのカウンターは比較的空いていてスムースにチェックインできました。 機内ではしっかり寝ておこうと思うのだが、なかなか熟睡できず睡眠不足の状態のままサンフランシスコに到着。
サンフランシスコの空港で、同僚の坂田さんと合流。 彼は別の航空会社の便で先に到着し、僕の到着を待っていただいていた。 また某航空会社のサンフランシスコ空港勤務の守田さんに出迎えていただき、お土産代代わりのアンテナを手渡す。(今回の荷物でこれが一番重かった。(^^;; )
レンタカーをピックアップし、本社に直行。 まずは米国本社内を行き来するためのIDバッヂの認証期間の延長を申請。 一旦ホテルにチェックインし、シャワーを浴びることに。 さっぱりして出かけようとしたらヘアージェルとブラシを持ってくるのを忘れたことに気づく。 うぅぅ、ボサボサ髪のまま仕事かぁ?... ふたたび本社に出向き、こちらでの拠点となるオフィスブースを確保。(さっそく仕事する坂田さんの図) 米国本社勤務の圭ちゃん、それにかんちゃんと会い、晩飯に一緒に行くことにする。 月曜日はお休みのレストランが多く選択肢はほとんど無く、日本レストランのひぐまに即決定。 会社から来るまで10分程度走ったところにあるこじんまりとした店で、夜は寿司を中心にしたメニュー。 アルバイトのおねぇさんが感じ良く、坂田さんはついつい飲みすぎてしまうのでありました。(えっ?いつものこと?)

2000年元旦(土)

みなさま明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になり誠にありがとうございます。今年も気が向いたときに日記を更新させていただきますので、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。(^^;;

元旦の朝はゆっくりめに起きる。(と言っても9時ですが) あれほど騒がれていた2000年問題もさほど大きなトラブルは今のところ発生していない様子で何より。(非常呼集がかからないので) コーヒーと軽い食事を済ませ、湯島天神に出かける。 古い御札とお守りを返し、新しい御札とお守りを頂戴する。 学業のお守りと言っても、娘の受験用と言うよりむしろ自分自身の学業成就祈願である。 (^^;;