国立航空宇宙博物館 ・National Air and Space Museum (NASM)
        ワシントン、DC   ・Steven F. Udvar-Hazy Center


               
                                            
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 2004年5月アメリカに行くことになった時、メトロポリタン美術館などを見ようと思ったのと同
時に、スミソニアンの航空宇宙博物館を見ようと考えました。ここには、復元された「零戦」が
展示されている筈で、太平洋戦争中の航空少年だった私にとって、実物の「零戦」を見るチャン
スだと思いました。
零戦への憧れ

 1945年の日本の敗戦で、私たちは翌1946年に一家揃って旧満州の瀋陽から無事日本に引
き揚げることができました。しかし、戦後の生活は苦しく、飛行機どころか、毎日の食料も満足
には得られない貧しい時代でした。
 私は、学校を卒業し、会社に勤めて飛行機のことはすっかり忘れていましたが、何時頃からか
文林堂の「世界の傑作機」を読むようになり、また、飛行機への関心が戻り、「零戦」の素晴らし
い性能とスタイルにほれぼれとしました。
 特に、スピードと運動性能のバランス、当時の日本機としては強力な武装、その均整のとれた
優美なスタイル、視界が良さそうで、バランスのとれた形の風防、尾翼の後が尖って収斂してい
る特長のある形は素晴らしいものでした。
・国立航空宇宙博物館・National Air and Space Museum (NASM)

 航空宇宙博物館は、首都・ワシントンDCのナショナルモール(通称モール)にあり、およそ
200m×50mもある非常に大きな建物です。

 元々はこの建物だけでしたが、2003年12月に、ダラス空港近く、モールから西に約43km離
れた所に、新館「Steven F. Udvar-Hazy Center」がオープンしました。ここは、モールの博物
館より更に広く、展示機も増えました。

 この博物館のURLは次の通りです。 ( www.nasm.si.edu/)

 モールの博物館に行くには、ワシントンの地下鉄「メトロレイル・Metrorail」で行くのが判り
やすいと思います。モールに近い駅は4個所ありますが、航空宇宙博物館の最寄り駅は
「L'Enfant Plaza」です。
 「L'Enfant Plaza」駅は、ブルー、オレンジ、グリーン、イエローラインの4路線が通ってい
る、便利な駅ですから、殆どの所から、乗り換えなしでモールまで行くことができるでしょう。
駅から博物館までは500mもないと思います。この駅周辺の詳しい地図を次のURLで見ること
ができます。( www.stationmasters.com/System_Map/LENFNTPL/lenfntpl.html)


モール側から見た、建物と正面入口

 博物館の中は、とてつもなく大きなフロワーで、1階と2階に別れていますが、大型機や
ロケットが展示されている所などは吹き抜けになっています。私たち日本人から見ると、
建物が大きすぎて、その上、小部屋に別れているわけではないので、テーマ別に展示して
あるのですが、一見すると乱雑に展示してあるように思います。
 そこで、展示を見るには、案内書を頼りに、自分の見たい展示を探すのがよいようです。
アメリカの博物館、美術館はどこでも大きな建物ですが、この博物館も、建物の写真で判
るようにばかでかい規模です。2階といっても、実際には5階かもっと高いかも知れません。
歩き疲れないように、迷子にならないように、効率的に見学
するように考えないと見落とします。私は、何回も失敗しています!

博物館の2階から吹き抜けになっている展示を見ることができる
戦前から戦後まで世界中で使われたダグラスDC3型旅客機
戦争中は米軍の輸送機として活躍した
・零戦を見た

 モールの「航空宇宙博物館」で、憧れの「零戦」と対面!この場所は、第2次大戦の軍用機
のコーナーで、米ノースアメリカンP51,独メッサシュミットBF109、英スピットファイアーなど、
戦時中のライバル機が並んで展示されていました。「ゼロ」は、天井から吊されていて、1階か
らは、下側を、2階の通路からは側面や上面を見ることができました。
憧れの零戦52型 A6M5
これを見るために、ワシントンまで来たのだ!
見とれてしまって写真は2枚しか写さなかった
のが悔やまれる
単排気管と主翼の20mm機銃のアップ
サイパンに展開していた261隊のマーキング
だそうです
・第2次大戦の軍用機
上はイタリアの最強戦闘機マッキC202
下がアメリカ最強戦闘機の一つP51Dムスタング
ドイツの誇るメッサシュミットBf.109G-6
数多くの改良型の中では最強と言われた
「スピットファイアー Mk. VII」
英国が誇るスピットファイヤー、その向こうは
ボーイングB17空の要塞
・爆撃機の無線通信席

 ここで、面白いのを発見しました、それはアメリカ爆撃機の無線通信席が復元されていて、無
線機が当時のままセットされていました。ここにあったのは、BC348受信機、ARC5(SCR274N)
送受信機で、戦後アマチュア無線を始めた頃、米軍放出のジャンク品でよく見たセットでした。
これらのセットの本来の使われ方を見て感慨無量でした。一方で、現在の技術と60年前の違い
を彷彿とさせる展示でした。
爆撃機(B25?)の無線通信席(ガラスで囲われていて、
照明の反射があり、ピントも甘く不鮮明でした)
1903年、サウスカロライナのキティホークで人類
最初の動力飛行に成功した「ライトフライヤー」機
100年後の航空機の発展を知ったら、ライト兄弟
は何を思うだろう!
 ロケット時代の始まり、ドイツのV1、V2ロケットなど
左側の白黒に塗られているのがV2ロケットで、弾道
ミサイルの元祖。1942年に完成、英国などに向けて
3000発も発射されたそうです。
驚くべき技術だったのですが、それでも戦局を挽回でき
なかったのです。V2を開発したのが「ブラウン博士」で、
後に米国のロケットの開発に尽力しました。
アポロ計画で作られた12台の月着陸船の1台で
テスト用であったが、テストが順調だったため
使われなかったものだそうです。実物はとても
きれいで、光り輝いていました。
1975年米国とソ連の共同宇宙計画で初めて「アポロ」
と「ソユーズ」がドッキングした時のテスト用モジュール
です。冷戦終了後、米ソ両国が宇宙開発に協力して、
現在では宇宙ステーションが実現しました。すばらし
い世界平和の技術開発です。
・Steven F. Udvar-Hazy Center

 2004年春、スミソニアン航空宇宙博物館に行くスケジュールを考えていた時、この博物館の新
館「Steven F. Udvar-Hazy Center」がダラス空港の近くに、2003年12月オープンしたと航空
雑誌に書かれていたのを見つけました。そこには、第2次世界大戦機を始めスペースシャトル
まで100機以上も陳列されていると言うことでした!
 これはぜひ行こう!戦時中の復元日本機も展示されていると書いてありました。早速、イン
ターネ調べ、展示機のリストを探して日本の軍用機は何があるのかも調べました。私が行った
2004年には、モールとこの展示場をシャトルバスで往復できましたが、2006年9月でこのシャトル
バスは乗客が少ないからとの理由で廃止されました。現在では、すぐ隣のダラス空港からバスで
行くことになります。

 
・ハンガー

 このセンターも、モールの博物館と同じように、巾およそ200m近くある、長方形の、巨大なハン
ガーに、300機以上もの大小の航空機、スーペースクラフトなどが展示されています。
 私の目に最初に飛び込んできたのは、コンコルドでした。エールフランスの真っ白な機体が、ハ
ンガーの巾一杯に展示されているのです。この場所は、ハンガー南端の、フードコーナーに近い
ところで、昼食をとりながらコンコルドを眺めていました。コンコルドが展示されていることで、ハ
ンガーの大きさが想像できるでしょう。

フードコーナーからハンガー全体を見たところ。目の前にコンコルドが展示
されている。ハンガーは長方形のワンフロワーで、写真で見えるように
3階くらいの高さのところに観客用のスカイウォーク(通路)がある。
ハンガーの反対側の端のスカイウォークから見たところで、真っ黒な機体の
SR71が展示されている。遙かかなたに、白いコンコルドがかすかに見える。
高所恐怖症の人には少々恐ろしい通路です。
日本機

 このセンターに展示されている太平洋戦中の日本機は4機ありました。こちらは、展示場所に
よっては外光が入らず、また照明が暗いところもあり、特に日本機の展示場所は撮影条件の厳
しい所でした
私が見た2004年当時「紫電改」、「屠龍」、「桜花」、「晴嵐」の日本機が一個所に
まとめて展示されていました。現在は、これに「月光」も加わったようです。


    紫電改 N1K2
太平洋戦末期に登場した高性能機でしたが、数が
少なくその性能を十分には発揮できなかった惜しい
機体です。個人的には私の好みの海軍機です。

正面と側面からの写真ですが、後にあるB29エノラゲイ
が大きくて一寸見にくいのが残念です。
     晴嵐
潜水艦搭載専用の水上攻撃機で、愛知航空機が
製造した液冷エンジンの機体です。

陸軍の双発戦闘機として採用された屠龍だが、活躍
の場がなく、改造して夜間戦闘機として使われた。
展示されているのは、その胴体部分だけで、主翼付
け根の構造が判り興味深いが、本来の形をしていな
いのが寂しい。
  戦争末期に登場した人間爆弾「桜花」の実物を始めてみましたが、こんなに小さい機体とは思いません
  でした。直径数十センチの小さな胴体に乗り数百kmの時速で飛ぶのをどうやって操縦できたのだろう?
  このような特攻兵器を作らせた人達は何を考えたのだろうか?
  戦争とは正常な人間の思考を狂わせてしまうものだと痛感させられました。
     左から桜花、晴嵐と紫電改が並んで展示されているところをスカイウォークから見た。
     屠龍はこの更に左で、この写真には入っていないが、ここが日本機の展示場
・外国機

 第2次世界大戦に活躍した航空機のコーナーがあり、日本機と外国機が展示されています。
そのうち、英国、米国、ドイツの機の写真を写したのをここにまとめました。
 外国機で私の好きな機体の一つはドイツフォッケウルフのFW190です、空冷ですがスピードが
あり、重武装で、爆撃機にもなった万能機です。スマートな側面と、脚の巾が広いことで、精悍な
感じがします。

Focke-Wulf Fw190Fで、後の巨大なB29の方が
目立ちますが、この角度の写真で精悍さが
表れると思います。
空冷を液冷にして、タンク博士の名前をつけた
Ta 152H-1、空冷としか思えないスタイルだが
まぎれもなく液冷機。

(極端な露出不足を修正した写真です)
スピットファイアと並び英国で活躍した戦闘機
Hawker Hurricane Mk-II C
双胴の悪魔として、敵から恐れられたロッキード
P38 J Lightning
日本では山本長官機撃墜で有名になった。
・スペースシャトル

 
米国の宇宙開発は、月面着陸を達成したアポロ計画の後、スペースシャトルの開発に移り
ました。その最初のシャトルテスト用の機体が、ここに展示されている「Enterprise」です。この
機体は、次の「Columbia」の前に、シャトルの性能などのテストと着陸や操縦訓練の為に作ら
れたもので、実際のスペースシャトルとしては使われていません。
この展示は、メインハンガーの西側に張り出した、スペースハンガーにあります。左の写真
のように、メインハンガーからの細い通路から入ります。ここの照明は非常に明るく、まぶしい
ほどでした。胴体の大きさに比較して、翼の小さいことが目に付き、超音速で飛ぶ機体だなと
思いました。
・タワー 「Donald D.Engen Tower」

 この「Steven F. Udvar-Hazy Center」のもう一つの目玉が、このタワー「Donald D.
Engen Tower」です。このタワーはメインハンガーに隣接していて、高さがおよそ50m
あります。このセンターは森林地帯の中にあり、周囲には何もないのでこのタワーか
らは360度の展望が開け、近くのダレス空港から離発着するジェット機を見ることが
できます。ここに登るには、エレベーターの順番待ちで待たされますが、十分に登る
価値があります。

タワーからダレス空港ターミナル(左)と離陸したジェット機(右)を見たところ
タワーから、ワシントン市内の遠望、40kmも離れているのに見えるのは空気がきれい?
タワーからハンガーの南側と入口を見下ろしたところ
シャトルバスが止まっている。
ダレス空港を離陸したジェット機


この説明は、私のメモ、スミソニアン博物館ガイド「My Smithonian」、国立航空宇宙博物館ホームページの資料を
参考にしてまとめました。
注:このページで紹介しているホームページのURLは、「http://」をはぶいて書いてありますので、ホームページ
を見るときには、「http://」を追加して入力して下さい

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