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年月日-年月日、インドを列車で回りました。

タイからデリーへ格安航空券で、深夜にデリーに着いたときは、空港設備が閉まっていました。
なんとかデリーの宿を確保しましたが、違和感からくる緊張のためか、翌朝日が出るまでの記憶がありません。
デリー-アグラ

デリーの国際空港なんだけれども、深夜なので、人っ気が、まったくありませんでした。
それでもなんとか宿がみつかり、市内へ移動しはじめました。
デリー

バスで市街地へ。
自動車道を走ると、黒い盛り上がりを避けてバスが走るので、良く見たら牛だった。
たぶん、アスファルトの上が涼しいから、牛が寝ているとおもわれる。
そういう世界か、、、
翌朝明るいところで街中を探索したら、未舗装の日本の田舎から雑草を抜いた感じかな -
コンノートプレイス

ここだけ、普通の街。
早々にアグラ行きのキップを買い、デリーを離れる。
タージマハル

米国大統領が、わざわざ見に来たという、白亜の建物で、皇女の墓。
青い空とのコントラストが映えて、驚愕の美しさ。
世界で一番という表現に、似合っている。
ここへは、日本人のバックパーッカーも多くいて、久々に日本人とホテルでカレーを食べました。
皆さん、無事に帰れたかな?

カルカッタへ

アグラから、列車でインドを東へ横断しました。後にも先にも、最長の列車旅行になりました。2泊3日だったとおもいます。
朝、違和感で起きたら、何人もベッドサイドに座っていた。
行けども行けども、大草原。
払える人は払う

日本の終戦記念日である8月15日は、インドの独立記念日。
この日インドの人は、旅行するらしい。駅が溢れんばかりの人だかり。
「ちっき」と呼ばれる駅員さんからキップを買って一等寝台に乗ったのだが、何故か人が座っている。そのうちどいたので、定位置に収まる。
二等寝台も、覗いてみたが、この私でも乗る度胸がなかった。
エアコンなどあるわけがないけれど、湿度が低いので我慢できる暑さ。慣れると心地よい。天井の扇風機の整流子から、夜は小さな火花が出て、それが妙に涼しげでした。
チャイ

列車内でインドの人と話して、だいぶ様子がつかめてきた。
インドでは、生き物も、有体物も、そうでないものも、とても大切に扱う。
ベナレス、カンプールなど、大きな駅は停車時間が長いので、駅周辺を探索できる。
ベナレスは、ご存知のとおり。
カンプールでは、蛇口の水道水を飲んだが、美味しかった。
駅につくと、「チャイ」という、ミルクティーが素焼きの器で売られていて、これが実に美味しい。そして、この器を線路に投げて壊し、土に返すのだ。
カルカッタが近づくと、この「チャイ」も、紙コップに変わり、中身もインスタントっぽくなる。その頃には、「アグラから列車で来た」というのに関心されてしまい、豆などの軽食を分けてもらえるくらいに、列車の人(ターバン)と親しくなりました。だいぶ馴染んできたのかな?


カルカッタ駅は、あまりに人が溢れていて、どこをどう出たのか、さっぱりわからず。
とりあえず航空券をリコンフォームしに航空会社へ行けたので、なんとかなるもんだ。
カルカッタでは、列車で、長いこと風呂に入らなかったので、シャワーつきのホテルに泊まりました。やたら水の出の細いシャワーを、長い時間浴びたら、風邪をひきそうになりました。
市場に出てみると、雑多だが熱気に溢れた生活が伺えました。
先にカルカッタに来ていたら、その熱気で動けなかっただろうとおもいます。
もうちょっと居たいとは思わなくて、タイへ格安航空券で戻りました。航空機といえども、どこかの払い下げの機体で、救命胴衣が人数分なく、リクライニングが壊れていました。だからといってダメという感覚は、なくなっていました。なんでも大切に使わなきゃ。
いよいよカルカッタを飛行機で離れるときに、やはり後部座席には無賃乗機?の人がいて、離陸の瞬間、窓へ駆け寄って故郷の大地を眺めていました。
良い光景でした。

タイ へ

香港 へ

マカオ へ



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